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2006年1月31日 (火)

ふぐ

ふぐは下関や山陰、九州など各地で養殖している。てっちりの駄洒落みたいだが、南米のチリでも養殖しているらしい。南半球なので、あちらの冬が丁度日本の夏になるから、航空便で飛んできたふぐを夏に食べられるかもしれない。しかし、やはりふぐはひれ酒とともに冬の風物詩だと思う。

養殖のふぐをホルマリンに漬けているなどというニュースを耳にしたこともあるが、マスコミが騒いで政府も動いたみたいだったから、もうだいじょうぶだろう。冷凍物は別として、天然物と養殖物との違いについて、よく解説を聞かされる。

一番よく聞くのは、
天然ものは薄く切ることができるし、厚切りにすると絶対噛み切れない。養殖ものだと身がぶよぶよとしているため、薄切りできない。味覚も養殖の方が若干脂っぽい。
それから、天然ものの白子は、ピンク色で丸々しているが、養殖ものになると小さく、色が白っぽい。
また、尾びれを見れば判る。養殖ふぐの場合は生簀の中で飼育するので、お互いに擦れ合ったり、喧嘩をして尾びれに傷をつけたりする。天然ふぐの尾びれは綺麗な扇型になっている
だそうだ。

死ぬまでに後何回食べられるかな...といいながら、なけなしの財布をはたき、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、毎年1~2度は食べに行く。昔からずっと同じメンバー4人で、頃合いになると幹事役が日程を決めて予約してくれる。スタートは夕刻なのに、その日は朝から落ち着かない。餓鬼道もきわまれりか。

食べる店は決まっていて、1月20日の 「神戸松濤(涛)庵考」 で書いた福原桜筋にある。一軒は桜筋の南の端近くにある 「宝馬」 で2階には少人数用の小部屋がある。
もう一軒もやはり桜筋にあって、中程をちょっと西へ入った 「現直し」 で、かなりの老舗店。震災前は三宮に 「城山」 という、やはりかなりの老舗があって、こちらを愛用していたが、閉店してしまった。震災を契機に廃業した店は少なくない。悲しいことだが止むを得ない。

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2006年1月30日 (月)

天ぷらの 「にしき」

先日久しぶりに天ぷらを食べてきた。1月13日 「天ぷらの旨い店」 で書いたホテルオークラの 「にしき」 に行った。いつも新しい 「お可川」 を覗いてみようと思っているのだが、ついつい馴染みの店に足が向かってしまう。

珍しく、フキのとうの天ぷらが出た。店長の説明によると、天然物はすぐに開いてしまって堅くなるので、天ぷらには使えない。これはハウスものだが、それでも出回る期間は一ヶ月ぐらいしかない。次回には多分、タラの芽かコゴミになっているでしょう...とのことだった。

子供時代に岡山県の田舎に疎開していて、畑にはフキも植えてあったが、とうは食べた記憶がない。食べる食習慣がなかったのか。今食べてみて口後にほろ苦い味が残り、なかなか旨い。しかし、大量に食べるものではなさそうだ。今度はタラの芽かコゴミを食べに行こうと思う。

この店は天ぷらにつけて食べるのに、天つゆとユズの絞り汁を用意しているが、その他に塩と緑色の緑茶塩とがある。ここの塩は独特で、非常にキメか細かい。見た目には塩に見えないで、上質のメリケン粉かなにかを連想させる。石垣島で作られた特別の塩です...と店長が自慢していた。

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2006年1月29日 (日)

京都大原三千院の魚山園

京都には名所旧跡が多いが、大原の三千院を訪れる人も少なくない。今でこそこの辺りも大変な雑踏で、風雅とはおよそかけ離れてしまったが、昔は桜と紅葉シーズンさえはずせば実に閑静なお寺だった。花見が終わった後の新緑はまぶしいぐらいだったし、雪が降った時の森閑とした静かなたたずまいも忘れられない。古い話だが、紅葉時に三千院へお参りした折、説明係のお婆さんが、

この落ち葉は全部今日の落ち葉なんです。昨日までの落ち葉は、毎朝早朝に掃いて捨てています。だから落ち葉の紅葉がこんなに鮮やかなのです...

といった意味の話をしていた。確かに一枚一枚の落ち葉が奇麗で、庭の地面全体が紅葉していた。街路樹の落ち葉も毎朝掃き清めておけば、毎日奇麗な落ち葉を眺められるのだが、なかなかそうはいかない。私たち爺を 「濡れ落ち葉」 などと呼ぶ言葉ができる所以だろう。

三千院の近くに魚山園という料理旅館がある。本館以外に、斜面の庭にある離れ家が風流だった。縁側とガラス障子とを通して見える庭が自慢らしい。まだ秋だというのに、もうコタツがしてあった。当時、というのは40年近く前のことだが、「魚山鍋」 という自慢料理があった。

コタツの上にLPガスコンロと土鍋が載る。鶏を使った鍋料理で、豆腐、湯葉、ネギ、白菜など普通の鍋だが、葛を入れてあんかけのようにして食べた。暖かくて体がホカホカしてきて、ついついビールのペースが上がったものだった。今でもあるのだろうか。

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2006年1月28日 (土)

高砂屋のきんつば

三日坊主にしてはよく続いた。12月28日から始めたので今日で丸一ヶ月になる。そのうち中止になるかもしれないが、もうしばらくは続きそうだ。

昨日に続いて甘いお話だが、神戸の元町通りに 「本高砂屋」 がある。この店は 「きんつば」 で名高い。きんつばといえば、ああ、高砂屋の...となる。創業百年超だそうだが、古希の私が子供の頃から元町通りにあり、よく祖母が焼きたての熱々を袂にくるむようにして、買って帰ってきたのを今でも覚えている。旨かった。

高校生時分には、友人と元ブラの途中、よく店先で手際よく焼いている職人さんの手元を見ていて、思わず口中に唾が湧いてきたものだった。もちろん、その場で買って、熱いからフウフウ吹きながら皆で食べた。

大して凝ったお菓子ではなく、小麦粉のごく薄い皮で小豆の粒餡を包み、四角い形に焼いたものだが、白っぽい薄皮から中の餡が透けて見える。名の通った銘菓店が売っているような、上品で格調の高いお菓子ではないし、お茶席でお目にかかることもないが、この味は忘れられない。時々無性に食べたくなる。いい年をして困ったものだ。

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2006年1月27日 (金)

塩味饅頭 (しおみまんじゅう)

忠臣蔵の故郷播州赤穂、兵庫県赤穂市に塩味饅頭のかん川本舗がある。浅野内匠頭の時代より伝わる銘菓とかで、外皮にもち米の粉、寒梅粉を使い、十勝産小豆の上品な甘みのこしあんに、赤穂特産の塩をきかせ、風雅な味わいに仕上った 「志ほ万」 だそうで、外皮には抹茶と白とがある。

真っ白な、あるいは薄緑色をした落雁風の皮は歯ざわりが柔らかで、しかも薄い。噛めばすぐあんになるが、このあんが実に上品な甘さで、目の前にあるとつい手が出てしまう。塩が引き立てるためか甘さに嫌みがなく、おいしいお茶が飲みたくなる。

今でこそ神戸のデパートなどで簡単に入手できるし、ネットなどの通販もあるが、昔はそうはいかなかった。赤穂までお菓子を買いに行くのは大変だし、なかなか賞味できなかった。姫路のヤマトヤシキというデパートで売っていたので、仕事で姫路へ行くようなことがあれば、必ず買って帰った。

赤穂に 「かん川」 がもう一軒ある。総本家かん川も 「しほみ饅頭」 を売っている。同じ名前で本舗と総本家と、どう違うのかよく判らないが紛らわしいことだ。両店のホームページにも商売敵のことは全く記載されていない。せっかく立派なホームページも立ち上げているんだから、お互いにリンクして 「あちらさんへもどうぞ」 ぐらいの太っ腹な商売はできないのだろうか。お金儲けはそれほど甘くないか。
こちらも買って食べてみたが、見た目も味も区別できない。幸か不幸か、両店の違いが判るほどには舌が冴えていない。いずれにしろ、ずっと食べていたのは本舗の方だし、これからも多分本舗を買うのではないだろうか。

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2006年1月26日 (木)

丸玉食堂

JR元町駅西口の南側をちょっと西へ行くと、ガード下に丸玉食堂がある。値段の安い庶民的な台湾料理で、中は結構広いが奇麗ではない。カウンター席とテーブル席とがあり、テーブル席の長いすにはビニールが貼ってあった。あまり上等の服を着ている時は避けて通りたい感じの店だった。ただし昔の話なので、今はそんなこともないかも知れない。

豚の足や耳・内臓などを使った珍しい料理も少なくないが、お勧めは細い腸詰めとローメンだと思う。腸詰めは豚肉を酒で味付けして燻製にした自家製で、他所では見かけない。独特の味でセリのような生の香菜と一緒に出てくる。量は少ないがビールによく合う。腸詰めが残ったからビールを追加して、ビールが残ったから腸詰めを追加して、と、落語じゃないがなかなか帰れない。

ローメンは 「きしめん」 みたいに平べったくて細い、黄色みを帯びた麺で、五目蕎麦のように具が入ったあんかけになっている。寒い冬など体の芯から温まりそうに思える。味も上々でファンが多い。

もう一軒、三宮駅寄りに丸玉食堂がある。やはりJRガード下だが、こちらはガード下の中央が通路になっていて、ガード下を東西に歩くことができる。そのガード下を三宮から元町方面へ歩くと北側に看板が見える。西口店はガード下の南北幅をフルに使った奥行きだが、こちらはガード下の北半分しか使えないので、奥行きが無く狭い。西口店の娘さんが経営してるそうだが、入ったことはない。

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2006年1月25日 (水)

十津川温泉の茶がゆ

1980 年頃の夏、会社の同僚8人が車2台に分乗して、和歌山の白浜へ遊びに行った。帰りは勝浦から十津川を遡り、十津川温泉で昼食休憩をした。名物の茶がゆを注文しておいて露天風呂に入った。あまごの塩焼きでビールを飲んでいると、茶がゆが運ばれてきた。

誰も見たこともなく、食べたこともない初物だが、茶がゆというから茶蕎麦のグリーンをイメージしていた。ところが出てきたのは茶色いどろっとしたおかゆだった。これでまず一同、えっ、と思った。しかし、茶がゆだから茶色でいいのか、茶蕎麦などの茶何とかが鮮やかな緑色をしているのは、合成着色料のせいなんだ...、と一応納得した。

湯気が出ていないが変だな、と触ってみると冷たい。冷めたおかゆなんか食べたことがない。熱々をフウフウ吹きながら食べるから旨いんじゃないか。けしからん、熱いのを作り直してくれ、と、やってしまった。で、またあまごの塩焼きとビールに戻った。

やがて要求通りの熱いおかゆが来て、薄汗をかきながらも、みんな満足した。食後、女将さんが出てきて説明してくれた。
ほうじ茶で焚くからこんな色になります。冬は熱い茶がゆをお出ししますが、夏の暑い時には冷水で冷やして食べます。夏バテで食欲が少ない時でも、おいしくいただけます。最初にお出ししたものは炊きたてを大急ぎで冷やしたものでした。
とのことだった。

熱い茶がゆを食べるから、奈良・和歌山県には胃ガン食道ガンの患者が多い、という先入観から熱いものだと思っていた。旅の恥はかきすてとはいうものの、とんだ赤っ恥をかいてしまった。帰りの車中で、大のおとなが8人もいて、誰も知らなかったとは情けないと、ぼやくことしきりだった。旅館の方も、無知で常識のない観光客には困ったものだ、と、ぼやいていたに違いない。

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2006年1月24日 (火)

京都の 「川勝」

これも昔の話になるが、京都に行けば帰りに必ず立ち寄るのが京漬物 川勝總本家だった。大宮通りを五条から50メートルほど北へ行くと西側にある。繁華街ではないので車を店の前に止めて...駐車違反して店内に入る。観光客もここまでは来ないので、大抵相客はいない。

色々買ってみたが、結局は 「千枚漬け」 と 「しば漬け」 とに落ち着いた。前者は季節ものだから何時でもというわけにはいかない。後者は 「しば祇園赤しそ」 と 「しば祇園青しそ」 とがあるが、どちらも旨い。「千枚漬け」 は平安神宮東側の 「大安」 が有名だし、「しば漬け」 なら創業100年を誇る 「土井志ば漬本舗」 の知名度が高い。
どちらも買ってみたし、その他の漬物店でも買って帰って食べてみた。味覚は好みの問題だから一概にはいえない。万人が不味いというのはあっても、全ての人の味覚を満足させることは難しい。これが、私の好みだ、というほかない。

そう度々京都へ来るわけではないので、神戸のデパートなどに出品してくれると助かるのだが、と尋ねたことがある。
手作業の樽漬けなので大量生産はできません。京都で売るだけで手一杯です、という返事だった。
この店で時々トイレをお借りしたが、工場横の通路を通って突き当たりまで歩く。そのとき、ガラス越しに見える工場には、大きな樽やかめが一杯並んでいて、沢山の人が仕事をしていた。ああ、これでは大量生産なんてできっこないな、と思った。

それから幾星霜...というほどでもないが、最近は、立派なホームページまで作って通販にも力を入れているようだし、全国のデパートで川勝總本家の販売員が販売しており、神戸でもそごうや大丸で簡単に買えるようになった。嬉しいことだが、なにか気が抜けたような感じでもある。それでも、せっせとデパートで買って食べている。味に代わりはないように思う。

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2006年1月23日 (月)

老祥記(紀)

昨日書いた南京町には、今や全国的に有名になった、豚まん専門の老祥[記] がある。これは間違いなく老舗で、60年近く昔、まだ高校生だった頃によく食べに入った。木製のがたぴししたガラス戸を左右に引いて入ったように思う。当時から狭くて古ぼけた、義理にも奇麗な店とはいえない構えだった。

半世紀以上も前のことなので、今のことは知らないが、そのころは、小さな汚れた木のテーブルに、醤油と芥子を入れる白い小皿だった。しかし、安い上に旨かったので、友達とよく食べた。お代わりをして、満腹感を充分味合うことができた。中には旨い肉がたっぷり入っていたが、とりわけ皮が独特の、他所の店とは違う味だった。もちろん行列などはできなかったし、満席などということも知らない。

ところで、老祥[記] の住所は中央区元町通2丁目になっている。同じ元町通で5丁目にも別の老祥[紀] がある。確かではないが、両店の経営者は兄弟で、南京町の方が弟だと聞いている。こちらは南京町の直ぐ北を走る元町通りで、少し西へ歩くと表通りにある。2丁目と5丁目だから距離も近い。有名店ではないので、並ばなくても直ぐ買える。

南京町の方はいつの頃からか行列ができるようになって、地元の人の足は遠のいた。味は全く一緒でサービスもよいから、5丁目で買うという人も、神戸では少なくない。しかし、やはり豚まんは南京町の方がよいという人もいる。たかが豚まん、されど豚まん、か。そういえば、永いこと食べていない。

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2006年1月22日 (日)

元祖ぎょうざ苑

神戸の南京町は東西約 200m、南北約 100m と横浜の中華街に比べて規模は小さく、あまり大きな店はない。昔からあるメジャーな中華料理店、主に披露宴や豪華な接待・宴会などに利用する東天閣、第一楼、震災後に廃業したらしい東名閣、神仙閣、萬寿殿などは南京町にはない。南京町の中華料理は、どちらかといえば一品料理が中心の、格式張らず、気楽に入れる店が多い。

そんな南京町の 「元祖ぎょうざ苑」 にはよく行った。勤め先が近かったせいで昼食を南京町で食べる機会が多かった。この店は南京町長安門を西へ、南京町広場を過ぎた先にある。お勧めは三鮮ぎょうざと炒醤麺 (ジャージャーメン) だが、三鮮ぎょうざは止めてしまった。肉、魚介、野菜の3種を使った料理を三鮮といい、三鮮ぎょうざだと豚のひき肉、えび、野菜を使った餃子になる。

無くなってしまったのは残念至極だが、三鮮ぎょうざはは旨かった。ニンニクは餃子そのものに入れず、味噌ダレに入っている。このタレはゴマ油が効いていて、何ともいえない、美味絶佳だった。皮の焦げ目がカリカリ、パリッと香ばしい。が、なくなったものは仕方がない。普通のぎょうざも中の具が違うだけで、やはり旨い。

炒醤麺はここで初めて食べた料理だったが、うどんのような太麺に独特の味噌が載っているだけで、見た目はあまり食欲を刺激しない。ところが食べてみると、これが旨い。すっかり病み付きになって、ここにくれば、三鮮ぎょうざプラス炒醤麺の昼食だった。

当時は南京町の人出も今ほどではなっかたし、店も満席というようなことはなかった。今は狭い道路が混み合って、スリの餌場になるほどで、昼時は行列の出来る店も多く、昔からの常連は辟易している。

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2006年1月21日 (土)

白馬鑓温泉

1950 年代終わり頃の夏だったと思うが、男女混成の山仲間で白馬岳に登ったことがある。山頂小屋からご来光の山頂まで往復した後、普段なら唐松・五竜・鹿島槍・爺・針ノ木・蓮華と縦走するのだが、今回は初心者もいたので無理をしないで白馬鑓温泉に泊まった。ずいぶん悠長な、というか贅沢な登山だった。当時は誰でもシロウマだったが、今はハクバと呼ぶらしい。するとハクバヤリとなるのかな。

山小屋の前には黄色い硫黄温泉の露天風呂があった。標高2100メートルだから眺望は申し分なく、しかも風呂はこれ一つの男女混浴だった。田舎の温泉にある混浴の露天風呂はお婆さんばかりだが、さすがにここまで歩いて登ってきた女性達だから、こちらの景色もなかなかのものだった。
一緒だった女性達は暗くなるのを待って、来てはダメですよ、と念を押して入りに行った。しかし女性達ばかりのグループは、明るい時間でも平気でじゃぶじゃぶと入ってきた。知ってる人には見せたくないが、知らない他人なら見られても気にしない...という女性心理か。ネットで調べると、今は男女別々の内湯と露天風呂になってるそうで、山男達もお気の毒なことだ。

驚いたのはトイレで、板囲いの戸を開けると、中央に跨げるぐらいの溝があって、その溝を黄色い温泉がドドーと音を立てて流れていた。掛け流しだった露天風呂からあふれた温泉が、水洗ならぬ湯洗便所になっていて、ここに跨っての垂れ流しだった。湯気でお尻が温かくて気持ちよかったが、下の雪渓はさぞ臭かったろう。

朝食は温泉で焚いたらしく黄色いご飯だった。昨夜の夕食はカレーライスだったので気が付かなかった。硫黄温泉で焚いた料理は初めてだったが、今でもそうなのだろうか。

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2006年1月20日 (金)

神戸松濤(涛)庵考

松濤庵 (しょうとうあん) という名の蕎麦屋は各地にあり、神戸にも数店ある。神戸で全国的に名の通った店は福原にある。福原という言葉は平清盛が一時、都にしたことで教科書にも載っているが、今の兵庫区福原町は新開地に近く、福原遊郭からソープランドに変身した町として知られている。
福原の松濤庵は、戦前の殷賑を極めた遊郭で遊んだ粋客や、地元の旦那衆が贔屓にした店で、百年に近い歴史がある。だから、味はいうまでもなく、客をもてなす店主の心配りも申し分がない。若い頃、勤め先が近くにあったので、よく食べに行った。値段も手頃だった。
福原には、北端に金比羅神社のある北行き一方通行の桜筋と、その東に南行き一方通行の柳筋とがある。福原の松濤庵は、桜筋を北上して途中から東に入った、映画館の直ぐ近くにある。

JR兵庫駅の南側に、「柳原のえべっさん」 という愛称で親しまれる蛭子神社があり、駅北側には御旅 (おたび) 商店街がある。この商店街にある松濤庵も地元では超有名になっている。福原の松濤庵からののれん分けと聞いているが、元気な頃の主人が片手に蕎麦、片手にハンドルの自転車曲乗り芸出前配達でテレビ出演したこともあった。
自慢は旨い手打ち蕎麦だが、時間が遅いと売り切れてしまって、ただの機械打ち蕎麦になってしまう。昼食に行って、あてにしていた手打ちが売り切れで、がっかりしたことも少なくない。時々茶蕎麦の手打ちになることがあり、この日に当たると、今日は日がいい、と思ったものだ。

もっとローカルで、比較的新しい松濤庵がJR神戸駅前付近にあって、最近はこちらによく行く。観光客用の、表通りにある店ではないので、場所を説明しにくい。初めて行く人には探しにくい店だが、とても繁盛している。店内は狭く窮屈で、相席などは当たり前。満員で入れないことも少なくない。これ以上客が増えないことをひたすら祈っている。名前は松濤庵だが手打ち蕎麦はなく、うどんが旨い。今は 「鴨うどんプラス炊き込みご飯の小」 にはまっている。うどん自身の味も絶妙だが、鴨うどんのダシが極上で、うどんのだし汁は飲まないようにと、かかりつけの医師が喧しいが、ここでは忘れることにしている。

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2006年1月19日 (木)

京料理 杉の木

神戸の南京町に、場所柄およそ不似合いな 「京料理 杉の木」 という店があった。縦書きに墨書された木の看板がぶら下がっている。2階だけの店なので、前の道路からいきなり階段を上る。狭い中で入れ込みの座敷になっていた。気むずかしそうな偏屈の親爺さんがいて、しかし京料理とうたうだけに、いつもしゃれた料理を出していた...ような気がする。

今でこそ南京町は観光地化して、一見のよその人達であふれているが、元々神戸の南京町はビジネス街と接しているので、サラリーマン達の昼食の場所でもあった。行列ができるのは豚まんの老祥記(紀)ぐらいのものだった。今ではあまりの混雑に地元の常連客が閉口している。

昔、杉の木といえば、今日はちょっと贅沢にお昼を、というビジネスマン達が愛用していた。ある日店に入ると、「筍がはいりました」 の張り紙が目に付いた。早速注文してみたが、延々と待たされてなかなか出てこない。周りに座っている他の客は、さっさと食べてドンドン帰っていく。たばこを何本も吸った後でやっと出てきた。筍の煮付けだが、なんと30センチ位の大皿に、輪切りではなく縦に二つに切った半身がそのまま載っていた。

木の芽が一枚付いているだけの筍だったが、旬のものだし、味もよく染んで旨かった。しかし、食べ終わった時には昼休みの1時間がとうに終わっていた。震災後はこんなおもしろい店もなくなってしまった。

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2006年1月18日 (水)

珍しい 「特上巻きずし」

六甲山の北側が開発されて北区に編入されるまでの神戸市は、北を六甲山塊、南を瀬戸内海にギュッと圧縮され、東西を芦屋市と明石市に挟まれた東西に細長い都市だった。だから東西にはJR、阪急電鉄、阪神電鉄、山陽電鉄、地下鉄と公共交通機関が狭い隙間を目白押しに並んでひしめき合っている。ところが南北には、距離が短くて商売にならないのか、市バスしかない。なお、新しい北区へ行くには、昔、神戸・有馬間を結ぶので神有電車といっていた、今の神戸電鉄と、1988 年 4 月 2 日に開通した北神急行とがある。

そんな神戸市の東端に東灘区がある。東灘区の西寄り、国道2号線の田中交差点信号で交差する十二間道路の西側歩道を南下する。右手にみえる甲南市場を通り過ぎてさらに進むと、同じ右手に小さいが小ぎれいな感じの 「六五寿司」 がある。

ここでは、特上巻きを注文する。鼻緒を取り去った下駄みたいな、足の着いた小さなまな板のような木製の台に、輪切りにされた海苔巻きが載って出てくる。この海苔巻きの芯には、赤い大正海老が一匹まるごと巻かれている。大きな海老なので巻きずしの両端から少々はみ出している。これに赤だしが付いて、いくらだったか忘れたが旨かった。

初めての人を連れて行くと、必ず驚いてくれる。それに、海老が嫌いな人はあまりいない。これも震災前の話だし、その後は東灘区の方に行く用事もないので、無責任なようだが、今はどうなのか知らない。

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2006年1月17日 (火)

須磨観光ハウス

義経の一ノ谷の逆落しで有名な須磨浦公園に、戦前から [須磨観光ハウス] という老舗ホテルがある。なかなかシックな感じで、落ち着いた構えが心を和ませてくれる。神戸に住んでいるから、泊まったことはないが、子供の頃、父に連れられて行ったことを覚えている。須磨浦公園をぶらぶらした後、何か食べようということだった。しかし、戦時中で食べるものに不自由していた時代だったので、色も甘みも薄いが、熱いだけが取り柄というしるこしかなかった。今は須磨観光ハウス味と宿花月と名前が変わったようだ。

今でこそ神戸にも沢山のホテルができて、人に尋ねられた時でも、何処を紹介するか迷うぐらいになっている。しかし戦後もかなりの間は、ホテルといえば須磨観光ハウスと旧オリエンタルホテルぐらいしかなかった。だから、食事中に有名人らしき人を見かけたこともある。宿帳には多くの貴顕淑女の筆跡がたっぷり残っていることだろう。できることなら覗いてみたいものだ。

年月を経て、当時の父ぐらいの年齢になった私が、妻と、当時の私位の年の息子と一緒に同じようなコースをたどった。山陽電鉄須磨浦公園駅からは標高246メートルの鉢伏山上まで、戦前にはなかった、ロープウェイとそれに続くカーレーターが通じている。低い山だが眼下は瀬戸内海の砂浜で眺望絶佳といえる。今なら淡路に渡る明石大橋も直ぐそばで、六甲山頂が百万ドルの夜景といわれるが、昼間ならこちらの景色の方が素晴らしい。

須磨観光ハウスは須磨浦公園上端の急な斜面に建っていて、食堂のテラス席からは須磨の海から淡路島、遠く紀伊半島や四国の一部も眺められる。東の方を見ると、大阪湾に臨む西宮、尼崎、大阪、堺などが一望できる。戦前には一枚帆の帆掛け船がゆっくりと走っている長閑な景色もあった。テラス席の直ぐ下はサクラの樹に囲まれたホテルの芝庭で、花見シーズンはにぎやかになる。

家族と須磨観光ハウスに行った時はちょうど5月の子供の日だった。食事の後、ホテル側が用意していて、息子は小さなチマキをもらった。何の変哲もないただのチマキだったが、子供心には印象深かったようで、成人した今でも何かの拍子に、そのときの思い出話をする。三代続いて、息子が自分の妻や子供を連れて同じような観光をするのだろうか。

鉢伏山からの奇麗な写真が吠えて勝つさんのページにありましたので紹介します。写真の手持ちがないもので、「ひとのなにやらで相撲とる」になって恐縮です。

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2006年1月16日 (月)

小野の鴨池

神戸と姫路とのちょうど中間ぐらいの所に加古川という、比較的大きな川が流れている。この川を少し遡ると、小野市がある。神戸電鉄粟生線 (三木線) だと、三木を過ぎて粟生 (アオ) の一つ手前になる。
その小野市に、日露戦争当時の日銀総裁松尾臣善男爵の別邸があった。3万坪という広大な林園を持ったその別邸が、料理旅館 「山水荘」 になっていた。この近くには周囲4キロほどの大きな鴨池があり、毎年数万羽の鴨が越冬していた。冬の 「山水荘」 は鴨鍋で名高かった。

ずいぶん古い話になるが、1960~70 年ごろには毎年一泊で鴨鍋を食べに行った。木造の古風な建物で、玄関などもお社のような重々しい構えだった。庭も座敷も立派なもので、観光地にあれば入園料でも取って、充分商売になったのではないだろうか。男爵様といえばジャガイモの男爵イモぐらいしか縁がないが、さすがは元男爵別邸だと感心していた。

なぜか宿泊客はいつも我々だけだったし、毎年のことなので、女中さんともすっかりお馴染みになり、宴席では一緒に飲んだり歌ったりしていた。当時はまだカラオケなどなく、全員の手拍子による放歌高吟が夜遅くまで続いた。

そんな鴨鍋だが、いつの頃からか行かなくなって歳月が流れた。今思い出して調べてみると、 「山水荘」 は廃業して久しいようだし、鴨と水と山林だけだった鴨池は、鴨こそ越冬に来るようだが、小野市観光協会のキャンプ場になり果ててしまっていた。

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2006年1月15日 (日)

「金トビ」 の細うどん

麺類は好物で、うどんや蕎麦をよく食べる。自宅では休日の昼食用だが、市場やスーパーでうどんを買ってくると、味がも一つで満足できない。ある時、愛知県蒲郡市にある 「金トビ」 のうどんを頂いた。抜群に旨い。思わず、これだ!、と膝をたたいた...といえばオーバーだが、たかがうどん、されどうどんで、確かに旨い。

電話でもファックスでも、メールでも注文を受け付けている。値段も手頃で買いやすい。釜揚げ用の 「太うどん」、手打ち風の 「田舎うどん」、細めでモッチリ感の 「細うどん」 などがある。好みの問題だから、人それぞれでいいが、私の家では専ら 「細うどん」 を食べている。たまの来客などにお出ししても評判がよい。

どこそこの小麦をどのように製粉して、から始まり、打って、ねさして、どうゆがいて、といった蘊蓄は判らないし、知ろうとも思わない。素人手打ちうどんに凝って、うまい手打ちうどんを食べさせてくれる友人もいるが、要は自分の味覚が満足できればよい。

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2006年1月14日 (土)

自家製 「わさび葉・くきの佃煮」

1976 年 6 月頃だったと思う。同僚と山陰地方へ旅行した帰途、海潮荘 (ウシオソウ) に一泊した。松江から県道24号線を、木次線の出雲大東駅方面へ走った山間のひなびた温泉だった。温泉は当然ながら50度近いお湯の掛け流しで、最近よくある循環式ではないから、「いい~湯だな」 感を満喫できた。

この温泉宿で特筆に値するのは大露天風呂で、大きな池のある立派な日本庭園の、その池が露天風呂になっている、と思えばよい。鯉みたいに池の中から庭を眺めることになり、人間を廃業して緋鯉になるのも悪くなさそうだと思った。
よく手入れの行き届いた庭で、芝生を毎週刈り込むなど手間が大変だろうと、貧乏性なので心配した。30年も昔の話だから、今はどうなっているか判らないが、あのまま手入れを続けていたら、磨きのかかった見事な庭園露天風呂になっているに違いない。もう一度行ってみたいものだ。

山の中だから芸者はいない。ヤトナはどうかと聞くと、いるとのことなので、呼んでもらった。ヤトナというのは、雇われ仲居で、普通は着物姿で料理の席にはべって酒の相手をする。常時、旅館や料理屋に雇われている従業員が仲居で、芸者みたいに呼ばれて外から来るのがヤトナと呼ばれる。
で、やってきたヤトナを見てなるほど、とおもった。ここは山の中だった。先程まで田畑で働いていたような農家の中高年女性が、口紅塗って、赤いおべべ着て、節くれ立った手に銚子を持ってお酒をついでくれた。全く色気はなかったが、方言丸出しの話はとてもおもしろかった。おかげでヤトナの時間を延長して、一同飲み過ぎた。

料理は鯉とか鮎とか山間の旅館らしいもので、とりわけ印象には残っていないが、「わさび葉・くきの佃煮」 がお膳の端にのっていた。全くの初物だったが、箸をつけてみるとなかなか旨い。茎も軟らかく味もよく染みていて、酒のアテにも悪くない。必然の成り行きで、おかわりをしたら、女中さんが驚いていた。
あまり旨かったので、土産にしようと思ったが、売店に売っていない。聞いてみると、自家製で量も少なく、とても売るほどはありません、とのこと。ここで引き下がっては男がすたると、是非にも、とお願いしてやっと分けてもらえた。家族にも好評で、直ぐに無くなってしまった。今は、静岡にある田尻やさんから入手している。

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2006年1月13日 (金)

天ぷらの旨い店

うなぎ同様、天ぷらの旨い店も全国何処にでもあって枚挙にいとまがない。神戸で昔ときどき行った店は 「お可川 (オカガワ)」 だった。レストラン北野クラブの近く、異人館で名高い中央区北野町にあった。座敷もあったが、天ぷらを旨く食べるならカウンターに限る。カウンターは客一組に一人の料理人が付いて、目の前で揚げて一品ずつ前に置いてくれる。揚げる速度も客にあわせており、こちらが話に熱中して食べる速度が落ちると、ちゃんと待っていてくれる。高台にあったからカウンター越しの眺めもよかった。

揚げる材料は季節の旬を大事にしていて申し分がない。魚類などは揚げる前に一つずつ見せてくれて、新鮮さがよくわかる。油がどうの、ころもがどうのといった、難しいことは判らないが、ともかく旨かった。口が肥えてしまって、なまじっかの店では天ぷらを注文できなくなった。
値段は高いのが有名で、華やかなりし頃の社用族向けではなかったかと思う。一度計算してみたら、昼食でも一個平均500円ぐらいになった。当然、夜だともっと高くなる。ウイスキーなどはボトルキープできた。天ぷらでワインというのも、ここのシェフに教えてもらった。

こんな素晴らしい店だが、入院と退院後の食養生でしばらく遠ざかっている内に無くなってしまった。最近になってネットで調べると、JR三ノ宮駅の南、中央区八幡通4丁に、同名の天ぷら店お可川が見つかった。そこにメールを送ると、早速丁寧な返信メールがあった。北野本店は 1999 年 12 月 25 日に閉店、翌年 6 月に現在地に転居して営業を再開、現在は三代目が天ぷらを揚げているそうだ。折を見て食べに行こうと思う。

最近よく行く店は、ホテルオークラ神戸1階、和食堂 「山里」 にある 「にしき」 という天ぷら専門店。小さな店で10人ほどしか席がない。カウンター越しに目の前で揚げてくれるが、最初に材料を見せてくれて、嫌いなものがないかを確かめる。前には小さな網の上に紙が敷かれてある。一品ごとに説明しながら、この紙の上に載せる。紙は時々交換する。ご飯、赤だし、漬け物といったセットもあるが、上に掻き揚げとワサビを載せたお茶漬けが旨い。お酒を飲んで天ぷらを食べて、その後の口直しにぴったり。ランチタイムのサービスなら値段はそんなに高くないが、決して安い店ではない。

着物姿の仲居さんが、黙っていてもお茶やおしぼりを交換してくれる。店内は静かで、客達も大きな声を出したりしない。お酒を飲んでいても、皆さん大変お行儀がよろしい。たばこを吸うような客もいない。子供連れに出会ったこともない。以前はこれが当たり前だったが、最近はこういう店も少なくなった。

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2006年1月12日 (木)

退院後の食生活

平成の初め頃のことだが、肝炎で通院していたE病院で、胆石の手術をしてもらった。普通は腹部に数個の小さな穴を開けて、内視鏡で見ながら切除した後、その穴の一つから胆嚢ごとズルズルっと引っ張り出して終わり、と聞いていた。しかし、胆嚢ガンの可能性もあるから開腹手術をします、といわれた。ガンではなかったが、お腹に三日月型の大きな傷が残った。

当然全身麻酔だったし、ガーゼ交換や抜糸などあり、一ヶ月の入院になった。退院が間近になったある日、主治医から、退院後の食生活について当院の栄養士から指導を受けて下さい、といわれた。病室に来た若い女性の栄養士から妻と二人で聞いた話だが、冒頭、脂肪類は一日茶さじ一杯にして下さい、といわれた。もちろん禁酒禁煙とのこと。

え! じゃあ、朝、サラダにドレッシングかけたら?
はい、それでほぼ一日分、おわりですネ

じゃあ、昼は...きつねうどんか、いや、油揚げが入っているから、昆布うどん?
ステーキや天ぷらもダメ?
はい、そうなります。

胆嚢がないということは、肝臓で作られた胆汁の貯蔵ができないので、垂れ流しになる。胃から腸に脂肪分が入ってきて、さあ、消化するゾって時に、胆嚢に蓄えられたはずの胆汁が出てこない。脂肪は消化不良になる。だから脂肪分を限りなく少なくしなさい、とおっしゃる。

理屈はよく分かるが、しかしそれでは干からびてミイラになってしまう。で、無視することにした。それまで通り天ぷらもステーキもトロも食べている。退院後一年ぐらいは消化不良気味だったが、あとは全く気にならない。胆汁か腸か知らないが、諦めてこちらの食欲に合わせてくれているようだ。たばこは入院中も吸っていて主治医公認だったし、今更やめる気もない。禁酒はそれでも3年ほど続いた。

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2006年1月11日 (水)

鰻の蒲焼き

鰻の旨い店など日本中何処にでもあるようだ。旅先などでも、あそこの鰻は抜群です、などとよく話題になる。神戸でよく行く店は2軒ある。かなり結構な値段だから度々は行けないが、有名な 「青葉」 の元町店は好きな店だ。花隈公園東側の道、つまりタワーロードと元町通りとの交差点を、ちょっと東に進んで最初の小路を南に行ったところに瀟洒な店がある。小路に入ると、もう蒲焼きの匂いがしている。

2階には座敷もあるが、普通は1階のテーブルを使う。愛想のよい女性が3人ほどいてサービスをする。最初に、サクラの花を塩漬けにしたサクラ漬けの入ったお茶が出てくる。蒲焼きは分厚くて大きな鰻を使っている。身はとても軟らかで、口に入れるととろけるような感触がある。たれも絶妙で、こんな旨い蒲焼きはちょっと他所では食べられない。お酒など先に一杯やりたい時は、酢の物の 「うざく」 や 「きも」、「うまき」 などを注文する。

もう一軒は、決して有名ではない 「加奈井」 という店で、老夫婦2人だけでやっている。店は大きくないが、テーブル席以外に3畳ほどの畳席が一つあり、この席を予約すると落ち着いて飲食できる。場所は三宮・元町などからかなり離れた須磨区の板宿にある。南北に連なる板宿商店街南端で交差する東西に走る広いバス道の南側歩道に面してバス停のすぐ東にある。

神戸では珍しく焼く前に蒸しを入れる関東風の蒲焼きで、蒸さずに炭火で焼き上げる関西風とは、当然ながらひとあじ違う。注文を聞いてから蒸し上げるので時間がかかる。旨そうな匂いだけかがされて、延々と待たされるのは耐えられないので、30分ほど前に電話で予約することにしている。
焼く前に蒸しを入れるのは関東風だが、鰻のサイズは関西風に大き目の鰻を使っている。蒲焼きの皿は二重になっていて、冷めない工夫がしてある。蒸してあるので身は柔らかい。たれも旨く値段も含めて、「青葉」 と甲乙つけがたい。どちらに行くかはその日の気分次第ということになる。

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2006年1月10日 (火)

鯰 (ナマズ) の蒲焼き

1983年の7月ごろだったが、神戸から自動車数台を連ね、会社の同僚10人余りで下呂温泉に行ったことがある。往路の昼食には、初物の鯰 (ナマズ) の蒲焼きを食べようと、予約もしていた。名神高速を岐阜羽島で降りて、15分ほど走ったところに川魚料理のAという店がある。
20年以上も昔の古い話で恐縮の極みだが、なにせ古希のたわごとだからご容赦頂きたい。そこは古い木造の大きな料理屋で、元は旅館か大きな民家ではなかっただろうか。庭に面して長い縁側の廊下があり、そこから畳敷きの座敷に入るようになっていた。部屋数は相当多かったようだ。

待望の鯰の蒲焼きが出てきて一同びっくり仰天、直径30センチほどの大皿に腹から開いた巨大鯰の蒲焼きが載っている。天然ものの鯰にこだわる老舗と聞いてきたが、大きさに驚いた。戦時中、岡山にある田舎に疎開していて、向かいの小川で魚釣りをすると時々鯰が釣れたが、こんな大きなものはお目にかかったことがない。

疎開先の田舎では不味いということで、誰も食べなっかった鯰だが、蒲焼きにすれば案外いけるかも知れないと思いながら箸をつけた。たれは旨くて、さすがは有名店だと思ったが、肝心の鯰そのものがあまり旨くなく、全員が食べ残してしまった。鯰という魚は白身の淡泊な味なので、脂肪分のこってりした鰻とは違って蒲焼きに不向きな気がする。

帰りに他の席を覗いてみると、みんな鰻の蒲焼きを食べていた。あのたれで鰻の蒲焼きならさぞ旨いだろうな、と車中評に花が咲いた。それ以来、鯰は食べていない。どこかに旨い鯰を食べさせる店があるのだろうが、挑戦する気になれないまま歳を取ってしまった。

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2006年1月 9日 (月)

神戸のギョウザ

ギョウザも最近は日本食と変わらなくなった。ギョウザを食べさせる店は多いし、家庭料理にまで侵入している。神戸でもギョウザの旨い店は少なくないが、以前によく行った焼きギョウザ専門店が元町にある。JR元町駅東口のすぐ東にある南北の道を鯉川筋という。
駅の南側をJRに並行して走る広い通りを南に横断して、鯉川筋の西側歩道を南へ2~3軒目に、間口1間ぐらいの古くて薄汚い感じの木造店舗、「ひょうたん」 がある。ギョウザと酒類だけの店で、老夫婦2人が鍵型のカウンターの中にいたが、昔のことなので老夫婦が引退して、若い人にバトンタッチしているかもしれない。ひょっとすると建物も震災で壊れて、奇麗な店に建て替わっているかな。

狭い店で5~6人ぐらいしか座れない。専門店なので 「2人前」 とかいえば、ギョウザが出てくる。目の前の大きな鍋でギョウザがジュウジュウと焼ける。タレはお客任せで、普通の醤油、ニンニク漬け醤油、味噌ダレ、酢、ラー油などが置いてあり、ご自由にどうぞといった感じで自宅とあまり変わらない。ギョウザの皮には独特の弾力性があり、裏の焦げ具合もパリパリと旨い。そこらのギョウザとはひとあじ違う。

まずビールで下地を作ってから、白乾児 (パイカル) か、五加皮酒 (ゴカヒシュ) をよく飲んだ。パイカルは高粱を主原料とした蒸留酒で、色は透明、アルコール度数は35度あり、普通の焼酎とブランデーとの中間ぐらいのアルコール度。
五加皮酒はウカピーチュウ、ウーチャピーチュウなどの呼称もあるが、最近はゴカヒシュと呼ばれるケースが多いようだ。私たちはをウジャアピーチュウ、略してウジャピといって注文したが、それで通じた。漢方薬で使われる落葉低木のウコギを乾燥して、根の皮を焼酎に漬けたものだが、濃密なコクと独特の甘みに、ほのかな香りを添えた赤い色の酒。飲み出すと癖になりそうだが、アルコールが29度なのでパイカルほどではないが、色や薬草風の香りに騙されて甘く見ると酔っぱらってしまう。古来から中国では不老長寿の健康酒として名高いそうだが、少なくとも病人には飲まさない方がよいだろう。

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2006年1月 8日 (日)

松本市のお菓子と幻の信州そば

和菓子は茶道と共に発展してきたと聞いている。京都を始め、松江など小京都といわれる地方都市、お茶の好きなお殿様のいた城下町などには、おいしいお菓子が多い。当時の領民は大変だったろうが、殿様がお茶狂いをしてくれたおかげで、あちこちに銘菓が残って賞味させてくれる。

信州松本にも有名な銘菓店は少なくないし、嗜好の問題だから甲乙付けがたいかも知れないが、私は 「開運堂」 で買うことにしている。お菓子の種類も豊富で年中無休らしいし、通信販売も手掛けていて買いやすい。必ず買うのは、小豆とニッキの組み合わせが絶妙な珍しい蒸菓子、「老松(おいまつ)」 と、鬼胡桃と蜂蜜を使った干菓子の 「真味糖(しんみとう)」。どちらも上品な風味の和菓子で、おいしいお茶とよく合う。

この店を紹介してくれたのも、わさび漬けの田尻屋を教えてくれた静岡の友人だった。会社の同僚4人で、彼のパジェロに乗って信州を旅したことがある。塩尻から南へ走っていた時だと思うが、その彼が、近くに旨いそば屋があるから行ってみよう、といって幹線道路からすっと逸れて細い未舗装の道に入った。

まばらな農家らしい家々と田んぼの中をしばらく行くと、人家が無くなり田んぼもなくなり、山林だけの風景になった。こんな所にそば屋なんかあるのかな、などと言っていると、突然右手の方が豁然と開けて、農家風の古い建物が現れた。これが目指すそば屋で、あまり旨いものだから、皆ざるそばを2杯ずつ食べてしまった。肝心の屋号も道順も忘れてしまったので、昨日その友人に電話で尋ねてみたが、あの頃は日曜ごとに旨いそばを探して信州を走り回っていたが、もう昔のことで全く覚えていないよ、ということだった。今や幻のそば屋になってしまった。口惜しい限りだが二度と食べることができない。

昔、そばは主食の一つで、農家は夫々自家用のそばを打って食べていた。やがてこの辺りでは村の農家が一年交替で、代わる代わるに村全体のそばを打つようになった。一種の分業制で、その年当番になった農家が一年間そばを打って、村の人たちがそれを食べていたらしい。そのうち、上手下手や人手の具合から特定の農家が、毎年そばを打つようになって分業化が進んだ。このようにして、このそば屋が生まれたと聞いたが、真偽のほどは定かでない。

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2006年1月 7日 (土)

静岡市のわさび漬け

サラリーマンだったころ、伊豆、熱海、静岡などでよく泊まり込みの会議があった。わさび漬けが好きなので、駅の売店や市内の土産物店などで、かまぼこと一緒によく買って帰った。静岡に懇意な同僚がいたので、彼にそんな話をすると、「土産物店のはダメだよ」 と田尻屋に連れて行ってくれた。

その友人はなかなか味覚にうるさい人で、四駆のパジェロで静岡から南アルプスの麓へ魚釣りに行き、途中に農家があると縁側でお茶をご馳走になる。たまにそのお茶が旨いと、自家製かどうかを尋ねる。こうして自家製の旨いお茶を見付けると、彼はスッポンのように食い付いて譲ってもらうらしい。泊まり込みの会議などには、いつも自慢のお茶を持ってきてふるまってくれたが、確かに旨かった。

田尻屋は昼過ぎになるとシャッターを降ろしてしまう。早く行かないと売ってもらえない。前日に仕込んだ分を売り尽くすと、時間に関係なく、商売は終わりになるらしい。愛好家への予約販売が多く、年末年始などは一般売りをしていないようだ。通信販売は受け付けるが、当世風のホームページなどないので、専ら電話注文となる。電話で料金を聞いてから、手書きの注文書と一緒に現金書留で送金する。着金と注文内容とを確認してから発送してくれる。
最近の通販はインターネットで発注すると注文主の希望に応じて、印刷された振込用紙を商品と一緒に送ってくる。つまり後払いだが、ここは昔ながらの通販制度を守っている。

田尻屋のわさび漬けは紹介者の権威を失墜することなく、すばらしく旨い。一口食べた時の、ツーンと鼻に抜ける刺激が抜群で、わさびの量も多くて、匂い、味、口当たりなど申し分がない。しかしあまり度々は食べられない。なぜかというと、家族が少ないので500円ぐらいの小さなパッケージしか買えない。大量に送ってもらっても気が抜けてしまう。少量でも重くて送料は千円を超えるから、送料を食べているよで、しゃくにさわるが止むを得ない。

わさびの葉や茎を佃煮にしたのも売っていて、こちらも旨い。もう少し日持ちがするから、わさび漬けと一緒に必ず送ってもらうことにしている。定年退職して関東方面に出張することも無くなったので、悔しいが通販で買うしかない。

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2006年1月 6日 (金)

神戸の泥鰌屋

神戸にもどじょうを食べさせる店は少なくないと思うが、行く店は決まっている。元町通りの2丁目を一寸ばかり北へ行くと 「吾作」 がある。1階はカウンター席だが、2階は入れ込みの座敷になっていて、落ち着いて飲むこともできる。

柳川鍋も旨いが、大抵はどじょうすきを注文する。一人用のすき鍋だが熱いので木皿に乗せて、豆腐やネギと一緒に姿そのままのどじょうが、ぐつぐつと煮えている。どじょうの姿を見ると食欲が無くなる、といった方にはお勧めできない。だしは醤油味で、どじょうは非常に軟らかく、頭から丸かじりする。どじょうの表面にヌメリが出ていて、ぬるっとしている。この感触は好きになれないという人もいる。

2階の座敷に上がって、どじょうすき相手に飲む酒の味は格別。鰻の蒲焼などの鰻料理もあるので、どじょう忌避症患者を同行しても大丈夫。しかし目前にある、こちら用のどじょうが丸のまま、鍋の中を遊弋している次第だから、重症患者は発作を起こすかも知れない。どじょうの種類が違うのか、柳川鍋ならできるが、どじょうすきは品切れということが時々ある。

冬だと寒ブリのカブラ漬けが出ることもある。石川県の親戚から送ってもらったとか聞いている。石川県の特産らしい。やや厚めの輪切りにしたカブラ2枚で寒ブリを挿んで麹漬けにしてある。季節料理だし、到来物らしいから、めったにお目にかかれないが、なかなか旨い。元町商店街の定休日にあわせて水曜日が休み。昼の時間はランチタイムがあって、値段が安い。

疎開して岡山の田舎にいた頃、家の向かいにある小川でよく魚を捕った。どじょうも戦利品だったように思うが、食べたような記憶がない。将来、神戸に帰ってきて、こんなものを好んで食べようとは夢にも思わなかった。

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2006年1月 5日 (木)

かぼちゃ雑炊

戦争中、といっても、いくら年寄りだからといって、日露戦争じゃない。敗戦直前に岡山県に疎開した。姫新線といって、姫路から山陽本線と分かれて斜め西北に中国山脈の方へ向かうJRの支線がある。当時のことだから石炭を焚いたSLがシュッポシュッポと走るわけだが、窓を開けていると独特の匂いと一緒に、煙に混じって小さな燃えかすの塵が目に入る。暖房はあったが冷房などという贅沢なものはまだ無かったから、夏は窓を開けている。トンネルが来ると、皆が大急ぎで窓を閉めて、通り過ぎるとまた開ける。忙しい旅行だった。

姫新線で津山の手前に美作江見という駅がある。その駅から4キロほどの山間にある田舎に祖母の縁故を頼っての疎開だった。それまでも懇意に交際していた親戚だったから、とても親切にしてもらった。よく疎開先で苛められたとか、縁故疎開で行った親戚なのに嫌がらせをされたとか、後日に見聞きするが、全くそんなことのない居心地のよい田舎だった。わがままに育って勝手気ままな子供だったから、逆に迷惑をかけたと思う。もちろん戦後もずっとおつき合いをいただいている。

そんな疎開先でも戦争末期になると、米が不足して大変だったようだ。一緒に疎開していた祖母がよく、かぼちゃ雑炊を炊いていた。米なしの麦100パーセント雑炊で、中にかぼちゃが入っている。旨いわけがない。
今は健康ブームに乗って、やれ玄米だ、それ麦飯だなどというが、旨いはずがない。やはり銀シャリの白米には勝てない。だがしかし、祖母のかぼちゃ雑炊は旨くて、何度も何度もお代わりをして食べた。もうその祖母もいないが、今、食べてみようとはとても思わない。

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2006年1月 4日 (水)

高山土産

旧臘、久しぶりに飛騨の高山へ旅行した。名神高速から東海北陸自動車道に入って暫く走ると、次第に雪景色となる。郡上八幡付近からは除雪車の除雪した雪が、道路の両側に雪の土手を築き始めた。道路の走行部分は奇麗に除雪されているのに、気の早いチェーン装着車がのろのろと走っていて、ドンドン追い越されていた。ノーマルタイヤだったので心配だったが、遂に往復、ノーチェーンで済んで助かった。

高山は初めてという同行者が多かったので、おきまりの国分寺、古い町並み、屋台会館、桜山八幡、陣屋などを見物した。話に聞いていただけの朝市は、朝起きして宮川朝市も陣屋朝市も行ってみた。自家製と称する漬け物を売っている店が多かったので、「土産物に旨いものなし」 とは知っていながら、つい買ってしまった。

衝動買いの土産物では数々の失敗談がある。以前、下呂温泉に泊まった時、地元の知人が昼食に朴葉焼きを食べさせる店に案内してくれた。雰囲気とビールが旨みを増幅させたにしても、事実旨かったので一同舌鼓をうった。その店でつい手が出てしまい、朴葉・みそ・小さな素焼きのコンロ・焼くための金網のセットを買ってしまった。
信州の善光寺参りをした折には、旅館で出された野沢菜の漬け物が、すっかり気に入った。普通の土産物店ではダメだろうと、地元の人が使っているような普通の八百屋で買ってみた。残念ながらこれも、朴葉焼きセット同様廃棄処分になった。

そんな前科を押し切って、買って帰った朝市の漬け物だが、家族にも好評で旨かった。ミョウガの酢漬け・小さな赤蕪・お茶漬け泥棒と三袋も買ったのだが、どれも美味で酒にもよく合う。ビニールの袋には 「作った私の名前が印刷されてるでしょう、この漬け物はここでしか売ってないのよ」 と売り子のおばさんが自慢していた。
すっかり気に入ったので、通信販売をお願いできればと思ったのだが、気が付いた時にはもう手遅れで、問題のビニール袋はゴミ収集車が持って行ってしまった後だった。気軽な買い物だったから、買った店もおばさんの顔も定かでない。もう一度行っても同じものが買える自信は全くなく、心残りで仕方がない。そう思うと残念で残念でたまらない。

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2006年1月 3日 (火)

神戸のタンシチュー

歳を取ってお迎えが近くなると気むずかしくなる、と周りの人は思っているようだが、実際は少し違う。例えば食事にしても、「死ぬまでに後何回食べることができるか」 と思うと、一食でもおろそかにはできない。食事の後で、大したことなかったな、とか、不味かったな、などと思う時は残念で仕方がない。自分でもまるで餓鬼のようだと感じるが、止むを得ない。

残り少なくなった食事だから、なるべく旨いものを食べたい。新しいメニューに惑わされてチャレンジなんかするものか。必然、昔から知っている旨い料理を注文するようになる。その料理が旨いと知っているから、その店へ行く。だから、その店に行けば、その料理しか注文しない。他にもっと旨い料理があるかも知れないのに、そのことは無視する。

JR神戸駅南側の神戸ハーバランドモザイク1階に西洋料理の 「中央亭」 がある。創業大正15年だそうだが、雰囲気はおしゃれながらも、やや格調の高さが見られ、気に入っているので時々食べに入る。店内は比較的広くゆったりしている。混み具合も適当で、どの席も静かに食べているせいか、混んだ店によくあるような店内のざわつきがない。もちろん子供連れなどいないのが嬉しい。

友人が 「タンシチューが旨いよ」 と紹介してくれた。で、何度も行くがこれしか食べていない。このあたり、年寄りは頑迷固陋だと言われる所以だろう。メニューには当然いろいろ載っているし、同じ値段の 「伝統の味 ビーフシチュー」 もある。いつも 「この次はビーフシチューを喰ってやろう」 と思いながらタンシチューになってしまう。次回こそはなんとかビーフシチューに挑戦しよう。

タンシチューは確かに旨い。タン・小ぶりの玉葱・人参・筍・人差し指ぐらいの小さなトウモロコシなどが蓋付きの深鉢に入っていて、手前の大皿に取り分けながら食べる。タンはよく煮込んであってとても柔らかい。歯の抜け落ちてしまった人でも十分OKではなかろうか。中のタレというかソースの味が絶品で、スプーンで掬って飲んだりパンに付けて食べる。料理が旨いと、どうしてもワインを飲み過ぎてしまう。年中無休だそうで値段もそれなりだが、古くからの常連客が多いようだ。

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2006年1月 2日 (月)

米沢で旨かったもの

昭和20年代に山形大学工学部の学生寮で学生生活を送っていた米沢市で、旨かったのは茶そばラーメンとトンカツだった。分厚いチャーシューとシナチクがたっぷり入った熱々のラーメンだが、なぜか茶そばを使っていて、よく友達と食べに行った。当時は米沢牛なんて聞いたこともなかった。知っていたのは神戸牛だけだが、いずれにしても食糧難の時代で、牛肉など口に入れることはめったになかった。

入学試験に合格して、国鉄米沢駅から学生寮まで荷物を担いで歩いた。寮の事務室で到着を申告すると、事務のおじさんが何かしゃべったが、意味が分からない。何度も聞き返したが、さっぱり判らない。そばに居合わせた寮生が通訳してくれたが、「駅から歩いてきたにしては、早く着いたな」という話で、ただの挨拶みたいなものだった。
神戸から来たのだから米沢駅で下車する。単線の奥羽本線だから運転本数も少なく、到着時刻は誰でも知っている。バスもタクシーも無いから徒歩に決まっている。で、上の挨拶になったようだ。のんびりした時代だった。

東北弁、正確には米沢弁だが、は難しいと覚悟していたものの、事務室の職員がこれでは大変だと思った。こちらは神戸弁、みなは関西弁と言っていたが、聞いてる寮生にはおもしろいやりとりだったろう。ラジオ・TVのおかげで、今はもう、こんなことはないと思うが、しかし最近は方言見直しというか、方言を大事にしようという運動があるので、どうなんだろう。

当時はまだ日本に献血制度ができていなくて、手術などで輸血が必要な患者は専ら親族、知人の供血に頼っていた。適当な供血者がいない場合は売血を買うしかなかった。
そんなわけで、時々市内の病院から 「B型2人」 などと寮に注文の電話がかかってきて、売血に行った。若い元気な学生が集まっている学生寮は売血の潜在的な供給源になっていた。

学生寮にいた頃、友人が供血に行くことになると、「大量の血を採られて、おかしくなると困るから、付き添いが要るだろう」 などど勝手な理由を付けて、付いて行った。帰りには必ず、「栄養補給で体力の回復が必要だ」 と、市内に一軒しかないトンカツ屋で散財した。値段は忘れたが、供血代はほぼ全額、トンカツとビールに化けてメデタシメデタシだった。分厚くてジューシーで、熱々だったし、ころもはカリカリで、見ただけで唾が湧いて出るぐらい旨かった。この旨いトンカツはインプットされたままで、今でも食べてみたいと思っているが、実際に食べてみたら、夢が壊されるのだろうか。それとも、案外旨いかも知れない。

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2006年1月 1日 (日)

山形大学のお弁当

山形大学工学部で2年間の学生生活を送った。昭和20年代のことで、移動する時は米持参の時代だった。米を始めいろんな物が配給制だった。夏休みなどで神戸に帰郷する時はヤミ米を買って帰ったものだった。
山形大学は 1949 年 5 月に旧制の山形高校や米沢工業専門学校、山形師範学校、山形県立農林専門学校などを統合して、国立学校設置法によってできた新制大学で、工学部は米沢市にあった。旧制帝大と違って学部が県内各地に分散していたので、タコの足大学などといわれていた。

米沢では大学の学生寮に入っていたが、特に寮では旧制のバンカラ気風が色濃く残っていた。寮の新入生歓迎会などでは、畳敷きの広い会議室で車座に座り、湯飲みに一升瓶から酒をトクトクとついで飲まされた。圧巻は年に一度の寮祭で、夜にグランドでやったファイヤーストームは今でも忘れられない。
寮の朝食はどんぶり飯にたくあんとみそ汁だけ。朝寝坊するので飯は冷めてしまっていた。冷や飯にお湯を注いでから、お湯だけ捨てると飯がやや暖かくなる。別料金の生卵か納豆をかけて食べたが、若かったせいか、これが結構旨かった。年を取るに従って、食欲も落ち、口も肥えたのか、旨い物を探すのが大変だが、若い頃は何を食べてもおいしかった。朝食のみそ汁は鍋がストーブに乗っていて、いつも熱かったが、具は大抵何もなかった。たまに菜の花が入っていた。菜の花の味はここで覚えた。

休暇で帰郷する時には必ず寮で弁当を作ってもらった。2食分作ってもらったが、開いてみるといつでも、竹の皮に特大のおにぎりが2個入っていた。一食1個の巨大おにぎりに、中に梅干しが一つ入っているだけで、たくあん数切れが付いていた。それでも銀シャリのおにぎり弁当はおいしかった。

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