« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月31日 (日)

パソコン・データのバックアップ

2006 年 12 月 29 日にブログ発足一周年で書いた初代パソコン、NECのいわゆる98は故障知らずだったが、OSの進化に追従できなくなって、買い換えを余儀なくされた。

次ぎに組み立てた2代目パソコンは、2008 年 7 月 5 日のパソコン歴 5のように、ハードディスクが故障して使えなくなった。おかげで、せっせとため込んでいたデータがほとんどなくなってしまった。

で、次からのパソコンには内蔵ハードディスクを2台組み込んで、片方をバックアップ専用に使っている。最初はエクスプローラを2個立ち上げ、コピー&ペーストでバックアップ用ハードディスクにコピーしていたのだが、手間がかかって仕方がない。バックアップ漏れも出てくる。

Realsync01
写真をクリックすると、拡大して見やすくなります

窓の杜を探していて、便利なフリーソフト 指定した一定時間おきに自動バックアップするときの道具 「 RealSync 」 を見付けた。RealSync吉本龍司さんの労作で、希望通りのバックアップ・ツールで、申し分ない。

Realsync04

上段メニューから、「更新」 → 「追加」 をクリックする。表示された 「同期の設定」 画面で、「更新元」 と 「更新先」 とを指定する。右のマークをクリックすると、エクスプローラのようなプルダウンメニューが出て、簡単に指定できる。
自動更新の対象にするかどうかをチェックで指定できる。右欄のコピー、削除に確認表示をするかどうかも指定できる。複数案件をバックアップしたい時は、「更新」 → 「追加」 をクリックして、この作業を繰り返せばよい。

Realsync02
写真をクリックすると、拡大して見やすくなります

自動更新とログの記録については、上段メニューの 「オプション」 → 「一般の設定」 をクリックして、「オプション」 画面を表示させる。必要な部分にチェックを入れて、自動更新を分間隔で指定する。

Realsync03

このツールは更新元と更新先とを同期させるソフトなので、更新元のフォルダやファイルを削除すれば、更新先にある同じものが自動的に削除される。更新元と更新先とは、全く同じ状態に保ってくれる。これでハードディスクが、いつ故障しても大丈夫。まさか2個のハードディスクが同時に壊れるなんてことはないだろう。

| | コメント (0)

2009年5月28日 (木)

ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、ナズナ その Ⅲ

「あいつの通った後はぺんぺん草も生えない」 と、最近はあまり聞かない。荒廃した場所でも育つようなナズナでさえも、生えなくなる。底引き網で海底の生き物を根こそぎ浚っていくようなものだろう。こんな漁法を続けていると、海洋資源は枯渇するに違いない。

090413nazuna01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

岡山県の片田舎に疎開していた頃、「あれじゃあ、そのうち屋根にぺんぺん草が生える」 というのを聞いたことがある。当時の屋根は藁葺きだったので、貧乏して、家の手入れもままならなくなると、屋根にナズナが生える。

ナズナは荒廃したような土壌であっても、生育できるほど旺盛な生命力を持っている。だからナズナは荒れ果てた様子を指すのに使われた。愛らしい花を咲かせるのに、こんな風に使われるとは、思えば気の毒な雑草だ。

090413nazuna02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

ナズナはアブラナ科ナズナ属の越年一年草で、学名は Capsella bursa-pastoris Medicus。学名の Capsella (カプセラ) はナズナ属を指し、ラテン語の 「小箱 」が語源。bursa-pastoris は、実の形が羊飼いの財布を思わせるからとか。だから英名は Shepherd's purse 羊飼いの財布。

和名のナズナは 「撫菜」 (なでな) から変化した。また、夏に枯れて無くなることから 「夏無 (なつな) 」 が変化したともいわれる。別名はペンペングサ。果実の形が三味線のバチに似ており、三味線を弾く擬音語がペンペンであることからという。

090420nazuna01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

ムギ栽培の伝来と共に日本に渡来した史前帰化植物と考えられ、北海道から沖縄まで全国に分布している。それで、「せり なづな ごぎょう はくべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞななくさ」 と、春の七草にかぞえられ、七草粥の摘菜とされている。

花はサイズが15~35ミリで、花弁は4枚、白色、柄のある小花を十字状に多数つける。長いおしべ4本とめしべ1本。次々に花を咲かせる無限花序で、下の方は果実が形成されているが、先端部では次々とつぼみを形成し、3~6月に開花する。

090428nazuna
この写真をクリックすると、大きな画像になります

夏~秋に結実して枯れ、秋に発芽してロゼット葉で越冬する。花を咲かせる頃になると長被針形の葉を付ける。根は主根性で深く地中に入る。茎は直立、分枝し、茎毛がまばらに生える。

090418nazuna01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

果実は偏平三角形で、果長6~7ミリ、中の種子は卵倒形で1果に20~25個を含む。特徴のある軍配型で、次第にふくらんで二室に割れて種子を散布する。よく稔った花茎を取り、果実を注意深く下向きに引っ張って茎と果柄を少し剥がし、でんでん太鼓を鳴らすように振るとシャラシャラと音がする。

西洋では羊飼いの財布だそうだが、そんなものは見たこともない。逆にナズナの種を見て、ああ、昔ヨーロッパでは羊飼いが、こんな変な形の財布を持っていたんだ、などと納得することになる。妙なあんばいだが、いかんとも致しがたい。

| | コメント (0)

2009年5月25日 (月)

家島の鯛網に行ってきた 後編

090505iesima01
時速45キロのクルーザー。写真クリックで、画像拡大

シロウトのわれわれは、大漁だと思ったが、漁師さんにいわせると、この日の漁は、不出来だったそうだ。それでも、写真のような大鯛や同じぐらいのサイズをしたヒラメなども獲れた。養殖ではなくて天然物なので、このヒラメ一匹でも1万円はくだらない、というのも数匹入っていた。

090506iesima10
この写真をクリックすると、大きな画像になります

2時間ほどかけて網漁は終わり、漁師さんたちが手分けして、獲物を締めていく。それを持参のトロ箱に氷と一緒に詰めて、荷造りをする。これはお持ち帰り用のおみやげ。それから17人、狭い道を漁師さんの家族3人がかり、軽4のピストン運転で、岸壁近くにある漁師さんの家へと向かう。

090506iesima14
この写真をクリックすると、大きな画像になります

090506iesima05
この写真をクリックすると、大きな画像になります

ビールと焼酎が出て、漁師さん一家の大盤振る舞い。鯛の大きな舟盛り三つから始まって、塩焼き魚、煮魚、鯛のかぶと煮、南蛮漬け、出るは出るは、とても食べきれない。食べたことのなっかった鯖のたたき、地元産の海苔を使ったおにぎりも旨かった。

鯛そうめんといって、大皿の中央に大きな鯛の煮付けがデーンと鎮座していて、周りにそうめんが並んでいる。贅沢な話ながら、もう鯛は食べられない。そうめんの小塊をその煮汁につけて食べる。あっさりしていて、これがまた旨い。お腹はもうぱんぱんなのに、口卑しく、まだ食べる。

また、軽4ピストンで岸壁へ。そこから先ほどのクルーザーに乗せてもらって、姫路港へ。帰神後は馴染みの居酒屋、マルズさんへ。これまた馴染みのすし店、寿司忠さんのオヤジサンと若いニイチャンが包丁・まな板持参で来てくださった。

090413susityuu
この写真をクリックすると、大きな画像になります

別な寿司店をやっているマルズの息子さんも参加して、お土産獲物のウロコ落としや三枚におろしたり、刺身にしたりの大活躍。それを待つ間に、ビールやお酒で喉を潤しながら、できたての刺身を食べたり、マルズの料理をつまんだり。いくらでも入るお腹に、吾ながら驚きつつも舌鼓。

一同、夕方にはそれぞれお土産をたんまり持って帰宅。家でも、ご近所さんに配ったり、冷凍保存したり。さすがに、もう魚は顔も見たくない。それにしても、たくさんの皆さんに、ずいぶんお世話になってしまった。お世話のなりっぱなしで、いささか気の重いことだが、いかんとも致しがたい。

| | コメント (0)

2009年5月23日 (土)

新型インフルエンザ

5月15日に神戸市で、日本最初の新型インフルエンザ患者が発見された。遡れば、1987年1月17日には、日本初の日本国籍女性によるエイズ患者が発症したが、これも神戸で、「神戸パニック」 という社会問題を引き起こした。なんで神戸やねん! といいたくなる。こんな先鞭はごめんだ。

それにしても、新型インフルエンザは、阪神地区に留まらず、既に全国に蔓延してしまった。わずか数日で、患者数は世界4位となったそうだ。これまでに診断された患者は氷山の一角で、これからどーっと全国に広がるだろう。

このインフルエンザは弱毒性といわれている。弱毒性とは、毒性が低いということではなく、ウイルスが感染する部位が呼吸器に限られるということを意味する。これに対し強毒性とは、全身の細胞で増殖しうるということを指す。

新型インフルエンザは、何の症状も出ていない潜伏期間にも周囲に感染するため、水際対策は意味がない。かって、SARSが発生した時には、発熱患者を見付けるのにサーモグラフィーを使って、空港での水際対策を行った。それは、SARSが感染するのは、患者に熱があるときだけだからだ。

新型インフルエンザの確定診断は遺伝子検査で、この検査なしでは診断できない。全国の病院、診療所でこの検査ができるような体制作りを、政府がやるべきではないだろうか。米国大統領が、議会に対策費として15億ドル (約1470億円) の追加予算を要求しているのに、日本の政府は何をやってんだろう。

| | コメント (0)

2009年5月21日 (木)

家島の鯛網に行ってきた 前編

090509iesima01 090509iesima02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

090509iesima03
この写真をクリックすると、大きな画像になります

家島出身の友人がいて、彼の企画で、一泊二日がかり、家島の鯛網を見に行ってきた。といっても、鞆の浦などにある観光用鯛網とは違う。彼の友人の漁師さんが、毎日仕事でやっている網漁の船に便乗させていただいた。甲板の上で、仕事の邪魔にならないように注意して、鯛網漁を見せてもらった。

男女合わせて17名のイベントだったが、そんなに大きな漁船ではないので、全員は乗り切れない。というか、無理に乗っても漁の仕事がよく見えない。で、別な知人が、かなり大きなプレジャーボートを出して下さって、ちょうど屋形船から鵜飼いを見物するように、大接近して観せて下さった。

090506iesima07
この写真をクリックすると、大きな画像になります

当初は、姫路港から海上タクシーをチャーターして、島巡りをしながら家島本島の宿舎に行く予定だったが、その知人の方が、プレジャーボートで姫路港まで迎えに来てくださった。男島 (タンガ)、坊勢 (ボウセ)、西島と周り、土産物店にも寄ったりしながら、本島まで送っていただいた。

090505iesima02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

090505iesima04
この写真をクリックすると、大きな画像になります

本島の港には 「いえしま荘」 の自動車が迎えに来ていて、神戸を出てからほとんど歩くこともなく宿舎に入った。「いえしま荘」 は、以前に泊まった時は町営だったと思うが、今は民営になっており、きれいな建物と美味しい料理とでもてなしてくれた。宴会の後はそのままカラオケ大会になった。

090506iesima02
「いえしま荘」 の前で。写真クリックで画像拡大

今年はクラゲの当たり年とかで、引き上げられた網の中には、大量のクラゲが混じっていて、それを小さな手網で掬って海へ戻すのに、漁師さんたちは大汗をかいておられた。ふだん見かける半透明の白いのではなく、半透明の身体に茶色い線が放射状に入ったクラゲで、アカクラゲではないかと思うも定かでない。

090506iesima09
この写真をクリックすると、大きな画像になります

クラゲの足が魚のエラに入ると、魚が死んでしまうとか。20センチぐらいの小魚が何匹も網の中で、クラゲに混じって死んでいた。サギらしき鳥が船の周りを、たくさん飛んいたが、海に放り込まれた死んだ魚には見向きもしなかった。生きた魚しか食べないのかも知れない。

090506iesima08
この写真をクリックすると、大きな画像になります

| | コメント (0)

2009年5月19日 (火)

異民族の支配システム

異民族を支配するシステムには2種類がある。一つは前回書いたが、被髪左衽や弁髪のように、支配者側の生活習慣や思想を強制することで同化を図るやり方だ。近くは日中戦争や太平洋戦争において、日本が占領地域に導入した方式で、大東亜共栄圏なる思想のもとに、日本の思想、生活習慣、宗教などを教育して同化につとめた。

1945年に敗戦を迎えた日本の統治についても、アメリカ占領軍はこの方式を採用した。天皇制こそ残したが、儒教と神道、仏教、教育勅語で固められた日本に、自由と平和、民主主義とを持ち込んで、日本人の世界観を180度転換させた。しかもこちらは成功した。

「十八史略巻一 春秋戦国 魯 平易近民」 によると、

太公封於斉、五月而報政。周公曰 「何疾也」 曰 「吾簡其君臣礼、従其俗」伯禽至魯、三年而報政。周公曰 「何遅也」 曰 「変其俗、革其礼、喪三年而後除之」周公曰 「後世其北面事斉乎。夫政不簡不易、民不能近。民必帰之。」

つまり、

BC1千年ごろ、周王朝建国直後の話だが、武王の弟で、魯に封じられた周公旦が、武王没後に即位した成王の摂政だったとき、その子の伯禽に代理として魯の封地を治めさせ、また、釣り師の代名詞にもなった太公望もまた斉に封ぜられた。

090519juuhatisiryaku01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

赴任して五ヵ月たつと、太公望が周公旦に政情を報告に来たので、「ずいぶん早いではないか」 と周公旦がいった。それに対する太公望の答えは、「君臣の礼を簡略にし、人民の風俗習慣にしたがって政令を定めたので、早いのです」 だった。

一方、伯禽が魯におもむいたときは、三年たってから、やっと政情を周公旦に報告した。周公旦は、「ずいぶん遅いではないか」 と尋ねた。伯禽は、「人民の風俗習慣を変え、礼をあらため、三年の喪を制定したので、遅くなりました」 と答えだ。

これを聞いた周公は、「ああ、魯は、後世、北面して斉に仕えるようになるだろう。政治というものは、簡易でなければ、人民は親しんでこない。平易で人民が親近感をもてば、かならず悦服するものなのだ」 と嘆いた。

090519juuhatisiryaku02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

魯を治めた伯禽の政治が第一のやり方なら、太公望の施策は、もう一つの統治方法に当たる。戦前、イギリスがインドなどの植民地を統治したのも太公望方式だろう。民族意識をあまり刺激しないこの方式の方が成功しやすい。

アメリカは昔、日本に対して採った方式が成功したものだから、アフガンやイラクなどに同じ方式を採って、民主主義の輸出を図り、失敗している。なぜ日本だけ、アメリカの伯禽方式が成功したのか。GHQ占領当時に、日本での反米闘争が民衆の支持を得られなかったのはなぜだろう。

| | コメント (0)

2009年5月16日 (土)

携帯ストレージ

パソコンに組み込まれていない、取り外し可能な記憶デバイスは、ずいぶん増えてきた。記憶に残る一番古いのは、5インチ2HDフロッピーで、ドライブはロジテック製LFD-581Fだった。1993年8月当時、定価37,800円が、売値26,460円と、今ならマユツバものの値段だった。

もちろん1年もすると、こんなものは使わなくなった。パソコン雑誌の付録で、フロッピーに入ったフリーソフトなどが、全盛を極めていて、最初は5インチだったが、すぐに3.5インチに代わった。26,460円は、今風にいえば、「燃えないゴミ」 と化してしまった。

古いパソコンはハードディスクもなく、当時のOSであるMS-DOSも、ワープロソフトの一太郎や表計算ソフトの123なども、このフロッピーに納められており、ここから直接起動させて使ったものだ。MS-DOS時代はOSもアプリケーションも、それほど軽量だった。

Windows 時代になると、3.5インチの2HDフロッピーは、1.2MBと、容量が小さすぎる。Windows 3.1 はフロッピー25枚だった。今以上に不安定だった Windows 3.1 を何度も何度も再インストールさせられたが、フロッピー交換に手が離せなくて苦労したものだ。

090321mo_01
古いのですっかり汚くなったMOドライブ。写真クリックで、画像拡大

それから、MOに目を付けた。専用のドライブは要るが、フロッピー同様、再フォーマットができて、エクスプローラから簡単にファイル操作ができる。見た目もフロッピーと変わらず、ちょっと厚めだが、3.5インチでサイズも同じ。しかも100MBで、フロッピーの百倍近い容量だから助かった。

090321mo_02
左がFDで右がMO。写真クリックで、画像拡大

OSやソフトの媒体は、フロッピーからCD、DVD、BDと進化してきたが、フロッピーのようにフォーマットし直して、何度も使うということができない。データの持ち運びはフロッピーからMOになった。ただ、値段が高かったせいか、あまり普及しなかったので、メディアだけでなく、ドライブまで持って行く必要があった。

ところで、3.5インチ フロッピーだが、最近は、こちらも影が薄くなってきている。フロッピードライブを装着してないパソコンが主流になってきた。代わって主流となりつつあるのが、USBメモリーだろう。値段もこなれてきて、比較的大容量でもそれほど高くない。

| | コメント (0)

2009年5月13日 (水)

ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、ナズナ その Ⅱ

ヒメオドリコソウ (姫踊子草) はホトケノザと同じくシソ科オドリコソウ属の一年草で、学名は Lamium purpureum。学名の Lamium (ラミウム) は、ギリシャ語の 「 laipos (のど)」 が語源で、葉の筒が長くてのど状に見えることに由来する、とか。purpureum は 「紫色の」 という意味。

080429himeodorikosou01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

ヨーロッパ原産で、日本へは明治時代中期に帰化し、主に本州を中心に分布する。中国・朝鮮半島から日本に分布する多年生のオドリコソウ (踊り子草、学名:L. album var. barbatum ) と同属だが、背丈や葉、花の大きさとも半分以下で小さいため 「姫」 の名を冠して呼ばれる。

080429himeodorikosou02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

いずれも花序が環状に並ぶ様子を、踊り子が並んで踊るさまに例えて名づけられた。

080429himeodorikosou03
この写真をクリックすると、大きな画像になります

花は明るい赤紫色の唇形で、上部の葉の脇から外側に向かって密に付き、上から見ると放射状に並ぶ。上唇の背に粗毛があり、筒部上部の前側が著しく膨らむ。温暖な地域では年間を通じて開花し、他の花が少ない時期にはミツバチにとっては重要な蜜の供給源となる。開放花と閉鎖花をつくる。

090406himeodorikosou
この写真をクリックすると、大きな画像になります

種子は、ホトケノザと同じく白いエライオソームがついているので、アリがこの実を巣に運ぶが、エライオソームだけ食べて、種子の部分はそのまま巣の外に出されるらしく、条件が合えばそこで種子が発芽することになる。

| | コメント (0)

2009年5月10日 (日)

ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、ナズナ その Ⅰ

雑草は年中生えているが、とりわけ春は忙しい。一斉に芽吹き、すくすくと伸びて、あれよあれよという間に花を咲かせる。毎年雑草抜きをしていて、花など咲かせてはいないのだから、庭に種など落ちているはずはないのだが、風が運んでくるのか、鳥が落としていくのか、必ず生えてくる。

その中には、憎しと思うのもあれば、可愛いと感じるのもいる。ホトケノザ (仏の座)、ヒメオドリコソウ (姫踊子草)、ナズナなどは、それなりに愛らしく、ついつい花を咲かせてしまう。おそらく専門家が観賞用に品種改良の努力をしておられることだろう。

090420hotokenoza
この写真をクリックすると、大きな画像になります

ホトケノザはシソ科オドリコソウ属に分類される一年草あるいは越年草で、学名は Lamium amplexicaule、別名をサンガイグサ (三階草) という。学名の Lamium (ラミウム) は、ギリシャ語の 「 laipos (のど)」 が語源で、葉の筒が長くてのど状に見えることに由来する、とか。amplexicaule は 「抱茎の」 という意味らしい。

090406hotokenoza01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

和名のホトケノザは、花の下にある葉柄の無い葉が茎を丸くとりかこんでいる様子が蓮台座 (仏の座) に似ているところからついた。また、別名のサンガイグサ (三階草) も、花が数段につくことによる。

090406hotokenoza02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

なお、「せり なづな ごぎょう はくべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞななくさ」 という春の七草に出てくるほとけのざは、これではなく、キク科のコオニタビラコ (小鬼田平子、学名:Lapsana apogonoides ) を指すので紛らわしい。

090413hotokenoza01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

茎の断面が四角いことや、花の形などが、シソ科らしい特徴を漂わせている。花はフサフサの帽子を被り、長い筒状になっている。筒の先は、唇形花冠。筒状の花が咲き終わったあと、「閉鎖花」 をつける。

090413hotokenoza02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

種子には、エライオソームという粒子がくっついている。これはアリにとって魅力的なものらしく、アリは巣へ種子を運ぶ。アリはエライオソームだけ食べ、種子は近くに捨ててしまう。その結果、ホトケノザの種子は、広く散布されることになる。

| | コメント (0)

2009年5月 7日 (木)

左前か右前か

081101rongo01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

久々に論語を読んでいる。難解で非常に判りづらいが、そこはそれ、「読書、百ぺん、意、自ずから通ず」 で、とても百読なんかできないが、読んでいる内に、なんとなく徐々にカスミガ晴れてくる。武内義雄訳注、「論語」 岩波文庫181頁、巻第7 憲問 (けんもん) 第14の18に、

管仲が斉の桓公を助けて覇者たらしめ、民、今に到るまでその賜(たまもの)を受けている。管仲なかりせば、「吾 それ被髪左衽 (ひはつさじん) せむ。」

というくだりがある。この被髪左衽は夷狄 (いてき) の風俗で、当時の中国では頭に冠をのせ、着衣は、今の日本の着物と同じく右前だった。管仲がいなければ、夷狄に侵略されて同化させられ、冠なしのざんばら頭で左前の服を着せられていただろう、と孔子がいっている。

日清戦争当時の写真を見ると、中国人は弁髪をしている。弁髪とは、男の髪を一部だけ残して剃り、残った髪を伸ばして編むという制度で、拒むと死刑にされたようだ。清朝は満洲に住む女真族が中国を支配した国で、初代皇帝はヌルハチ (1616~1626)。

漢民族は管仲のおかげで被髪左衽こそ免れたが、後世、このように弁髪を強いられてしまった。圧倒的多数の漢民族を少人数の満州族が巧妙に支配していた清朝で、弁髪は異民族支配のシンボルだった。

081101rongo02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

なお、左衽 (さじん) の衽 (おくみ) とは、着物の前身ごろに縫い付ける20センチ弱の布のことをいう。つまりは前エリのこと。孔子は紀元前551年~紀元前479年の人で、管仲は紀元前645年に死んでいるので、百年ほどの開きはあるが、同じ春秋時代の人といえる。

ところで、ここにいう左前とは、左の前身ごろ、あるいは左エリのある部分が、前に来るということではない。その逆で、着物を着る時に、左前身ごろを先にまとい、それから右エリのある部分を、前で重ねてまとうことをいう。前という文字には 「先」 という意味もある。

日本で着物の場合は、男女とも右前で、そのまま右手を懐に入れることができるし、右利きなら帯も結びやすい。武士が左腰に差した刀を右手で抜く場合も、刀のつばが前身ごろの端に当たったりしない。死者は左前で、「非日常」 を表している。そのことから敷衍類推して 「会社が左前になる」 などともいう。

一方、騎馬民族であった夷狄などは、右手で矢をつがい、弦を引いて放つ際に、右衽の服を着ていると、矢が着物に触れてうまくいかないが、左衽ならこの心配がない。右衽にしろ、左衽にしろ、合理的な根拠がある。

左右のことを調べてみると、いろいろおもしろいことに出会う。右回り・左回りについては、2006 年 6 月 19 日のしあわせの村通信 2 左回りと右回りに書いたが、左右大臣、左右大将、左右京、「左近(さこん)の桜と右近(うこん)の橘、左書きと右書き、左右側通行、左遷、「右に出るものはいない」 などなど。またの機会に書いてみたい。

| | コメント (0)

2009年5月 4日 (月)

どうしても消せないファイル

どうしても消せないファイルやフォルダがある。エクスプローラから削除しようとすると、「ディスクがいっぱいでないか、書き込み禁止になっていないか、またはファイルが使用中でないか確認しろ」などといってくる。

ファイルまたはフォルダの削除エラー
削除できません。ほかの人またはプログラムによって使用されています。
ファイルを使用している可能性があるプログラムをすべて閉じてから、やり直してください。

などとクレームを付けることもある。「ディスクがいっぱい」 なんてことはあり得ないし、書き込み禁止でもない。先程までは使っていたが、今は使用中でもない。だが、メモリーの方は使用中なのかも知れない。

Rfd01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

そこで、再起動をしてみると、たいていは消去できる。しかし、やりかけの作業をそのままにして再起動するのは、どうも気が進まない。時間が無駄だし、再起動してから、削除したいファイルやフォルダをエクスプローラから探し出すのも手間がかかる。数が多いと見落としたりすることもある。

それに、僅かながら、再起動後であっても削除できないファイルが残る。ハードディスクに余裕はたっぷりあるのだから、消せないファイルを無理矢理に削除することもない。ところが困ったことに、血液型がA型のせいか、これが許せない。日常生活はかなりアバウトなのに、ここだけは不思議と几帳面になる。

そこで、杉山利幸さん作のフリーソフト、Reboot File Deleter Ver.1.17 を使わせていただいている。

Rfd02_2

消去したいファイルやフォルダを、画面上部にあるリストボックスにドラッグ&ドロップするだけで、OKしておけば、次回のリブート時に消してくれる。既に Windows が使用していて消せないファイルでも Windows が起動する前に消去するようなので、きれいに消してくれる。

便利なツールなので、アンインストールすることもないが、このソフトはレジストリに書き込みしていないから、インストールで解凍したファイルを削除するだけでアンインストールできるのもありがたい。しかも、対応 環境が、Windows 95、98、NT4.0、2000、Me、XP、Vista と、幅広いのもすばらしい。

| | コメント (0)

2009年5月 1日 (金)

ライラックが満開

ライラックが満開になった。ジンチョウゲやキンモクセイの時と同じで、庭に出ると特有の薫りが迎えてくれる。帰宅して駐車場から庭に一歩踏み入れると、ああ、咲いているんだ、と嗅覚を刺激する。香りがよくて香水の原料ともされ、16世紀半ばには、香水としてもてはやされた、とか。

090424rairakku
クロアゲハが吸密に来た。写真クリックで、大きな画像になります

ライラックは、モクセイ科ハシドイ属の落葉樹で、学名は Syringa vulgaris。Syringa (シリンガ) とはギリシャ語の Syrinx (笛、パイプ) が語源で、vulgaris は 「普通の、通常の」 という意味。昔、この枝から笛、パイプを作ったことからきているそうだ。

090420rairakku01
この写真をクリックすると、大きな画像になります

和名はムラサキハシドイ (紫丁香花)だが、英名の comon lilac をカナ化したライラックや、仏名の lilas commun 由来でリラとも呼ばれるのが普通。原産地はヨーロッパ南東部からコーカサス、アフガニスタンとくにハンガリー、バルカン半島といわれている。

日本への渡来は、明治23年に米国人宣教師 サラ・クララ・スミス女史が、生まれ故郷のアメリカから持ち込んだ1本が、はじめとか。

090420rairakku02
この写真をクリックすると、大きな画像になります

開花時期は4~5月で、紫色または白色などだが、園芸品種では濃い紫など、変わった花色もある。花形は大きな円錐状の花がよく目立ち、花びらはふつう4枚だが、まれに5枚のものもある。

花芽は前年枝の上位の側枝につくので、剪定は花後がよい。頂芽は成長過程で枯死し、両側の側芽が伸びて花序は対生してつくことが多い。

070411rairakku
この写真をクリックすると、大きな画像になります

北海道では、開花期の5~6月頃に寒くなる日があり、そんな寒さを 「リラ冷え」 といい、季語になっている。本州の 「花冷え」 とほぼ同じ意味。これから暑くなろうとしている矢先の一瞬の寒さをいう。

この言葉は、北海道の俳人、榛谷 (はんがい) 美枝子さんが1960 (昭和35) 年に詠まれた句の冒頭に使われている。

リラ冷えや 睡眠剤は まだ効きて

この言葉は、1971 (昭和46) 年に渡辺淳一さんが書いた小説、「リラ冷えの街」 で一気に広まった。今では俳人のみならず、札幌で暮らす人々の日常の言葉として定着しているそうだ。

| | コメント (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »