2009年5月 1日 (金)

ライラックが満開

ライラックが満開になった。ジンチョウゲやキンモクセイの時と同じで、庭に出ると特有の薫りが迎えてくれる。帰宅して駐車場から庭に一歩踏み入れると、ああ、咲いているんだ、と嗅覚を刺激する。香りがよくて香水の原料ともされ、16世紀半ばには、香水としてもてはやされた、とか。

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クロアゲハが吸密に来た。写真クリックで、大きな画像になります

ライラックは、モクセイ科ハシドイ属の落葉樹で、学名は Syringa vulgaris。Syringa (シリンガ) とはギリシャ語の Syrinx (笛、パイプ) が語源で、vulgaris は 「普通の、通常の」 という意味。昔、この枝から笛、パイプを作ったことからきているそうだ。

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和名はムラサキハシドイ (紫丁香花)だが、英名の comon lilac をカナ化したライラックや、仏名の lilas commun 由来でリラとも呼ばれるのが普通。原産地はヨーロッパ南東部からコーカサス、アフガニスタンとくにハンガリー、バルカン半島といわれている。

日本への渡来は、明治23年に米国人宣教師 サラ・クララ・スミス女史が、生まれ故郷のアメリカから持ち込んだ1本が、はじめとか。

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開花時期は4~5月で、紫色または白色などだが、園芸品種では濃い紫など、変わった花色もある。花形は大きな円錐状の花がよく目立ち、花びらはふつう4枚だが、まれに5枚のものもある。

花芽は前年枝の上位の側枝につくので、剪定は花後がよい。頂芽は成長過程で枯死し、両側の側芽が伸びて花序は対生してつくことが多い。

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北海道では、開花期の5~6月頃に寒くなる日があり、そんな寒さを 「リラ冷え」 といい、季語になっている。本州の 「花冷え」 とほぼ同じ意味。これから暑くなろうとしている矢先の一瞬の寒さをいう。

この言葉は、北海道の俳人、榛谷 (はんがい) 美枝子さんが1960 (昭和35) 年に詠まれた句の冒頭に使われている。

リラ冷えや 睡眠剤は まだ効きて

この言葉は、1971 (昭和46) 年に渡辺淳一さんが書いた小説、「リラ冷えの街」 で一気に広まった。今では俳人のみならず、札幌で暮らす人々の日常の言葉として定着しているそうだ。

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2009年2月28日 (土)

可愛い子には旅をさせよ

「可愛い子には旅をさせよ」 という諺がある。会社の若い社員に尋ねてみた。子供がかわいいなら、海外旅行でもさせて楽しませてやれ、デズニーランドへ飛行機で連れて行ってやれ、ってことでしょうという答えが返ってきた。時代が変わると、諺の意味も変わってくる。しかも180度も。

本来の意味は、子供が可愛いければ、甘やかさないで、逆に世の中の辛さを経験させること、をいう。社会に出して苦労させた方がよい。人は厳しい経験を積むほど成長するので、かわいい子ほど敢えて大変な思いをさせよということ。他人の飯を食わせる、ともいう。

類義語には、「獅子の子落とし」 というのがある。獅子は我が子を千尋の谷に落として、生き残ったものだけを育てる、という中国の言い伝え。中国に虎はいるがライオンはいない。この獅子とは、ライオンのことではなく、中国の清涼山に棲むとされる伝説上の霊獣を指す。

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2009年2月19日 (木)

三代目、唐様(カラヨウ)

麻生総理は故吉田総理のお孫さんだそうだが、最近は政治家や医師にも、二代目、三代目が増えてきた。父や祖父のジバンやカンバンがあるから、当選しやすいだろう。儲かっている医師の子息でなければ、医学部の高い学費を払うのが大変だし、親の築いた診療所や病院の後継ぎも欲しいだろう。

一部上場の企業だって、エライさんのご令息が採用されて、いつの間にか部長や取締役などの要職に就くことがある。まして同族経営的な中小企業においておや、二代目社長、三代目社長も珍しくない。敗戦後に、一応、ヨーイドンでスタートして、今やその二世三世の時代になっている。

江戸時代の川柳に、

売家 (ウリイエ)と、唐様 (カラヨウ) で書く、三代目

というのがある。商売はからきしだが、親のおかげで教育だけは充分受けられたから、唐様の書体で書くことができる。今ならさしずめ、英語かフランス語というところか。留学帰りのボンボンが、ゴルフやスポーツカーにうつつをぬかして、家業を傾けるようなものだろう。

歴史を見ればこのことがよく判る。蘇我入鹿、平維盛、源実朝、豊臣秀頼と、枚挙にいとまがない。中国の春秋戦国時代をみても、周王朝の力が衰えてから秦王朝までの550年間に、11月3日の血盟、覇者が牛耳るで書いた覇者、準覇者は次々と登場するが、二代目三代目が頼りなくて、天下を統一するにいたらない。

もちろん、優秀な後継ぎもいらっしゃるのだが、総じてダメな方が多いのは、一種の経済法則かも知れない。創業者が刻苦勉励して築きあげた身代を、苦労知らずの後継ぎに譲るのは、親としてもツライ話だ。が、これだけはいかんともし難い。

甘やかして育てられた二代目、三代目社長でも、会社を潰させないためには、どうしたらよいか。子々孫々、優秀な後継ぎが生まれるとは限らない。確率的にはボンクラ社長だって生まれる。それでも安全に継承させるには、それなりのシステムが必要だろう。

昔は、これはという優秀な男を捜して、娘の婿養子になってもらい、お世継ぎにしたりしていたが、最近は難しそうだ。当人同士がその気になってくれないと、うまく行かないが、これが大変だろう。それに、男の嫡出子でもいたら、一悶着あるだろうし。まあ、当家ではそんな心配も要らなくて、庶民はありがたい。

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2008年12月24日 (水)

英語の授業は英語で!

文部科学省は12月22日、2013年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基本」 と明記し、教える英単語数も1300語から1800語に4割増とする。「使えない英語」 から 「使える英語」 へ転換するそうだ。

敗戦の年だったので、中1の1学期には英語の授業がなかった。敵性語は徹底的に排除され、日本語だけの世界だった。その後の2年半と高校3年間、浪人1年、大学で2年間、合計8年半ほど英語を勉強したが、全く使えない。

海外勤務もなかったし、英語を必要としなかった。英語が判からなくて不便だと思ったことがない。しいて言えば、吹き替えでなく字幕の付いたアメリカ映画を見る時に、英語が判れば字幕を見なくて済むのに、と思ったことぐらいだろう。

今の英語授業がどんなものか、見当も付かないが、文法や単語、文節の意味などを、教科書に沿って教えているのだろう。高校の先生方はこれを英語でできるのだろうか。もしできたとしても、聞かされる生徒は理解できるだろうか。それに、米語と英語とは違うはずだが、その辺りはどうなるのだろう。

生徒は英語で質問しなければならず、先生も英語で答えることになる。考える時は日本語で、それを頭の中で英訳して話すようなことではダメだろう。思考そのものが英語でないといけないのだが、日常生活が日本語の中で、授業中だけ英語に頭を切り換えるなんてできるだろうか。

途上国などでは、英語が準公用語になっていて、教育も英語で教えているところが少なくない。しかし、インドや香港とは違って、日本は途上国でもなければ、アメリカの植民地でもない。日常会話に英語は必要ないし、職探しも英語は必須の条件でない。なぜ英語が使えないと困るのか理解できない。

そんなことより、今の日本人には英語が必要だ、という国是を、ここら辺りで再検討した方がよいのではなかろうか。最近のカタカナ英語には辟易させられるが、なにもわざわざ英語に置き換えて表現する必要があるのだろうか。テレビはテレビで結構だが、イノベーション Innovation などは、刷新とか改革で充分ではないか。

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2007年6月 1日 (金)

白檀(ビャクダン)が開花

ビャクダン (白檀) の花が咲き始めた。ビャクダンは学名を Chamaecereus silvestris といい、サボテン科エキノプシス (旧カマエケレウス) 属に分類されている。原産地はアルゼンチン北西部で、わが国へは大正時代に渡来したといわれている。サボテンの一種で草丈15センチほど、紐状または円柱状をした身体からは白い毛が出ており、5~7月頃になると鮮やかな朱赤色の花を咲かせる匍匐性の常緑草本。日本で古くからある品種で、屋外での越冬も可能なので、地植えや鉢植えで栽培されている。

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赤い花が咲くのに、白檀とはこれいかに。夜になめても朝だ飴 (浅田飴) と言うがごとし。昔、こんな駄洒落が流行って、「作業服で行っても、清掃 (盛装) とはこれいかに。昨日作っても、今日 (京) 料理と言うがごとし。」 とか、「一人っ子が食べてもソーセージ (双生児) とはこれいかに。一人で住んでいても住人 (10人) と言うがごとし。」 などと掛け合い漫才みたいにして遊んだものだ。ともかく白檀と命名したいわれは判らない。

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同じ白檀という名前で別に常緑樹がある。こちらはビャクダン科ビャクダン属で、学名は Santalum album Santalum。東南アジアのジャワ島またはインド原産といわれ、樹高は約10メートルで、心材は淡黄色から褐色だが、辺材は白色で、学名のalbum も 「白い」 という意味があり、だから日本名は白檀となる。

木部は耐久性がかなり強く、強烈な芳香があって、香油 (白檀油) の原料とされており、銘木としては、古来、仏像の材料とされ、そのほか、彫刻材、宝石箱、扇子などの細工物に利用される。本物の白檀製扇子は、丈夫で薫りも抜けないが高価で、それこそ清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟がなければ買えない。

話が込み入ってくるが、こちらの白檀は漢語別名を栴檀 (せんだん) といい、デカン高原での現地語 「サンダルウッド」 を、漢語で栴檀 (せんだん) と音写したものらしい。西行法師の撰集抄にある 「栴檀は双葉より芳し (せんだんは ふたばより かんばし) 」の「栴檀」はこの白檀のことを指す。最近は使う人もいなくなったようだが、これは、「栴檀は発芽したころから芳香を放つことから、優れた人物は、幼いときから他と違って優れている」 ことを表し、「大器晩成」 とは反対のことを表すことわざとして、昔は使われた。

ことのついでに一層話を混乱させると、白檀のセンダンではない別のセンダン (栴檀) と呼ばれる植物が日本にある。こちらは、学名が Melia azedarach でセンダン科センダン属に属し、日本語別名をオウチ、アラノキ、アミノギ、クモミソウ (雲見草) という。万葉集、新古今集、枕草子などに登場し、古くはオウチ (あふち) と呼ばれ、字は漢名の楝をあてていた。このあたりは、また別の機会にでも書きたいと思う。

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2007年5月 9日 (水)

オダマキ満開

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青紫花の種子
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オダマキが咲きそろった。オダマキはキンポウゲ科オダマキ属で、学名は Aquilegia flabellata。原産地は日本、中央~東ヨーロッパ、北アメリカ、アジアなどといわれている。

日本原産のみやまオダマキと、ヨーロッパなどが原産の西洋オダマキの2グループに大別される。みやまオダマキは白から紫までの色幅があり、変わったところでピンクがかった園芸品種もある。草丈は20~30センチで、4センチくらいの花をつける。一方西洋オダマキは、70センチぐらいの草丈で、花色も、赤、桃、白、黄、八重などカラフルで、2色咲きなどもある。

庭には4株ある。いずれもタキイ種苗から苗を購入したもので、多分みやまオダマキを改良した園芸品種と思える 「みやまオダマキセット」 青紫、白、ピンクが各1株と、西洋オダマキ園芸品種のピンク八重咲き1株とがある。カタログで買ったから判らなかったのだが、八重の方は花が小さく、ボリューム感に欠ける。

オダマキは多年草なんだが、数年経つと地下茎が浮かび上がって来てやがて枯れてしまう。だが、種子で容易に繁殖するので、自然に世代交代が行われ、庭全体としては絶えることがないそうだ。八重以外は結実を始めたので、今年は秋になったら播いてみようと思う。

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みやまオダマキセットの青紫、白、ピンク。写真クリックで、画像拡大

直射日光はあまり好まず、耐暑性がやや弱くて、強光と乾燥に弱いので、西日を避けた戸外が望ましい。当家では2株を地植えにして、残る2株は鉢植えにしている。一方、耐寒性はとても強いので、庭に放置したままで冬を越している。鉢植えだと開花時に室内で鑑賞できるが、その分、日照不足になりやすい。

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青紫花 白花 ピンク花
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青紫花の距 白花の距 ピンク花の距
みやまオダマキセットの青紫、白、ピンク。各写真クリックで、画像拡大

オダマキは珍しい花形をしており、下向きに咲くが、花の外側にある大きな花弁のように見えるのは萼片で、花弁はその内側にあって、ややまとまって筒状になる。花弁の基部からは角状の距が伸び、萼の間から突き出ている。花を後ろから見るとよくわかるが、みやまオダマキは西洋オダマキと違って、距が内側にはっきり回り込んでいる。

オダマキという名前のことだが、「苧」 というのは麻の古名で、麻の繊維を、中を空洞にして丸く巻き付けた苧玉 (おだま)/苧環 (おだまき) に、花の形、花の後ろに尾を引いたような距の姿が似ていて、機織りの際に使う麻糸をまいた糸巻きからの連想だろうと思われる。

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西洋オダマキ園芸品種のピンク八重咲き。各写真クリックで、画像拡大

オダマキの花は知らなくても、

しづやしづ 賎 (しづ) のおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな

の歌なら、中学か高校で習っていて、日本人なら誰でも知っている。

この歌は源義経の妻、静御前が夫と離別したあと鎌倉へ送られ、頼朝の前で舞いを舞ったとき、義経をしのんで詠ったといわれている。布を織る時に、麻糸をまいた苧だまきから、糸が繰り出されるように、たえず繰り返し、昔を今にする方法があったらと、賊軍にされて逃亡している夫、義経との昔の生活を懐かしみながら舞ったとか。

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2007年5月 7日 (月)

ホロホロ鳥

残念ながらホロホロ鳥 (ホロホロチョウ) は、この歳になるまで食べたことがない。キジ科の鳥で、原産地はアフリカ、昆虫と種子とを食べているとのことなので、食用にはなりそうだ。古代ローマ時代では、皇帝・貴族しか食べられなかった高級な鳥と聞いている。現在ではフランス料理の高級定番食材となっているが、日本国内では飼育の難しさからたいへん珍重されているらしい。

4月30日のエスプレッソとカプチーノとで書いた 「大統領特赦」(上) {ジョン・グリシャム著、白石朗訳} の127頁に書いてあったのを引用すると、

「きょうの特別料理は、ファラオーナ・コン・ポレンタだそうです」
「で、どんな料理なんだ?」
「ホロホロ鳥にポレンタ---つまり、玉蜀黍のお粥を添えたものです」

とあるが料理の方法が書いてない。しかし、調理法は特別にホロホロ鳥だからというものはないようで、若キジなどと同様に調理されるが、成鳥の肉は硬いので煮込み料理にするようだ。外国では、ホロホロ鳥のもつ肉を、キジに似た野性味を持つものとして評価し、定着している。肉性がキジに似ているにもかかわらず、特有の臭いや癖がなく、肉の柔かさも好まれる要因の一つとか。

キジやスズメ、ツグミ、ウサギ、イノシシ、シカなどは何度か食べたことがあるし、スッポン、ナマズ、サンショウウオ、エスカルゴなども賞味した経験がある。しかし、ホロホロ鳥は食べたことがない。是非一度味わってみたいものだ。どんな味だろうか。

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2007年4月11日 (水)

映画 「赤い靴」

NHK-BS2の衛星映画劇場、アカデミー受賞作品特集で 「赤い靴 The red shoes 」 が放映された。1948年英国製で上映時間は133分。この映画は高校生の時に学校の課外授業であった映画鑑賞で、全校生徒だったか同学年だけだったのかはっきり憶えていないが、ともかく学校から先生に引率されてみんなで観に行った。場所は新開地の松竹座だっとはずだ。当時は時々学校から映画を観に連れて行ってくれた。

モイラ・シアラー Moira Shearer 扮するビクトリア・ペイジ Victoria Page という新人バレリーナが、アントン・ウォルブルック Anton Walbrook 扮するボリス・レルモントフ Boris Lermontov というバレエ団のカリスマ的興行主に見いだされ、新作バレエ 「赤い靴」 に出演して大成功を収める。

ペイジはマリウス・ゴーリング Marius Goring が演じる音楽専攻の学生でのちに作曲家となるジュリアン・クラスター Julian Craster と恋仲になるが、芸術至上主義のレルモントフが許さず、苦悩の果てに、走って来た列車をめがけて露台から飛び下りる。駆けつけたクラスターに、虫の息でヴィキイは赤い靴をぬがして頂戴といい、クラスターがぬがせてやるとともに息絶える。

この映画はアンデルセンの童話 「赤い靴」 になぞられた一人のバレリーナの悲しい宿命を描いたもので、幻想的な映像美で華麗なダンス・シーンをたっぷりと見せてくれる。モイラ・シアラーはスコットランド出身とかで、燃えるような赤毛と透き通るように白い肌が非常に印象的だった。レオニード・マシーン Leonide Massine もリュボフ Grischa Ljubov という靴屋の役で見事な踊りを披露している。また、マリウス・ゴーリングがくわえタバコでピアノを弾くシーンもよかった。

アンデルセンの 「赤い靴」 は、

赤い靴を履いた主人公のカーレンは、赤い靴が勝手に踊りはじめ、靴を脱げないまま夜も昼も、雨の日もずっと踊りつづけ、疲れはてたあげく、首切り役人のところにいって赤い靴を足ごと切ってもらう。その後、義足と松葉杖で教会の奉仕を続け、最後は天使に許される。

という少し怖い物語になっている。ファンタジックな 「赤い靴」 の劇中劇は約15分に及び、圧倒される。世界的プリマドンナのモイラ・シアラーとサドラーズ・ウェルズ・バレエ団が出演し、「白鳥の湖」、「ジゼル」、「コッペリア」などバレエの名シーンもあってサービス満点といえた。

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2007年4月 6日 (金)

映画 「黄色いリボン」

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1951年11月29日映画館で購入した
6頁もあるパンフレット、20円だった

最近、このブログに古い映画が登場するのを見た知人が、「黄色いリボン」 のDVDを貸してくれた。1949年アメリカ製、米セントラル配給、上映時間は103分だが、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演という典型的な古典西部劇といえる。1948年の 「アパッチ砦」 と1950年の 「リオ・グランデの砦」 の間に位置するフォード監督 「騎兵隊3部作」 の第2弾に相当するが、なぜかこの映画だけがカラーになっている。

おかげで 「黄色いリボン」 の色が鮮やかに見える。一幅の絵の様な美しい色彩が続き、西部劇で必ず出てくる懐かしの風景もすばらしい。しかも9年ぶりに新調したプラズマテレビのおかげで、「黄色」 も堪能できた。退役を6日後に控えた大尉役のジョン・ウエインと3週間後に退役する軍曹役のマクラグレンとの、老兵二人の組み合わせと、やりとりには笑ってしまう。

西部劇なので、ストーリーはどうということもなく、ただただ、ジョン・フォードが監督した 「西部劇」 で懐かしの老いたジョン・ウェインをたっぷり見せてくれるだけだ。ジョン・ウェインの独特の表情、歩き方、葉巻の吸い方、などなど、印象が強烈で、しばらくは自分がジョン・ウェインになったような気にさせてくれる。歩き方もジョン・ウェイン風になってしまうのはやむを得ない。

音楽は 「アパッチ砦」 で使われた 「黄色いリボン She wore a yellow ribbon 」 がメインに使われている。高校3年生だった当時、この歌がすっかり気に入ってしまい、当時所属していた学校の放送部で、このレコードを買って、休憩時間になると毎日のように流していた。だから当時の同窓生は大抵この歌を覚えているはずだ。

歌い出しの 「 She wore a yellow ribbon 」 が何度聞いても、「シー・ラ・ワーラ・ウォリアナ・リボン」 に聞こえていたのを憶えている。今聞いてみてもやはりそのように聞こえる。こちらの耳が変なのか、英語のスラングなのか、定かでない。是非聴いてみて頂きたい。どこで読んだのかはっきりしないが、何かで読んだ話だと、

国際線の飛行機に乗っていて、ウオータープリーズ water please を何度言ってもスチュアデスに通じなくて困った。外人の乗客が言ったのがワラプリに聞こえたので、思い切ってワラプリと言ってみたら、ちゃんと水を持ってきてくれた。

とか。そういえば昔、高校生時代に英会話を習いに行っていて、アメリカ人だかイギリス人だか知らないが、外人の先生がする発音を、英語の文字なんか無視して、かってにカタカナに置き換えて憶えていたのを思い出した。英字通り発音するより、ワラプリ風カタカナ発音の方が良く通じた。

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この写真をクリックすると、大きな画像になります。上記パンフレットの内部

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2007年4月 2日 (月)

映画 「カサブランカ」

NHKのBS2が 「衛星映画劇場 アカデミー受賞作品特集」 というのをやっていて、最近は録画に忙しい。カサブランカ、禁じられた遊び、第三の男、ドクトル・ジバゴ、ゴッドファーザー、赤い靴、と目白押しに並んでいる。録画しておいて、都合のよい時間に観ることにしている。古希じいの 「食べる話」 なので恐縮だが、しばらくは映画の話になりそうだ。それにしても、カサブランカや第三の男は当然、白黒映画だが、不思議とモノクロを感じさせない。

カサブランカは1942年のアメリカ映画で、往年の大スター、ハンフリー・ボガード ( Humphrey Bogart、1899-1957 ) とイングリッド・バーグマン ( Ingrid Bergman、1915-1982 ) とが共演している。古希を過ぎた今、半世紀以上も昔の映画を観た感想といえば、通俗的なメロドラマではあるが、ただ、第2次世界大戦中にドイツに占領されていたフランスの抵抗運動や、行ったこともないカサブランカという土地の風景とかは心に残る。

ラズロ役のボガードが経営する 「カフェ・アメリカン」 で、ナチス党員たちがサムにピアノ伴奏させて、我が物顔に軍歌 「ラインの護り」 を歌う場面がある。これに対抗して 「ラ・マルセイエーズ」 を全ての客と従業員が一緒に歌い、ドイツ兵を圧倒してしまうるシーンは名場面のひとつだと思う。ナチス党員とデートをしていた仏人女性までもが、涙を流して国歌を歌い出し、歌の終わりには 「 Viva la france! (フランス万歳) 」と叫ぶあたりは、涙腺を刺激されるぐらい感動的だ。

もし日本が外国に占領されていて、こんな場面になった時、どんな歌を歌うのだろうか。はたして 「君が代」 が歌われるだろうか。それとも 「上を向いて歩こう」 とかだろうか。戦後、永らく米軍に占領されていたし、沖縄では更に長期にわたって占領されていた。沖縄での出来事だったら、「沖縄を返せ」 の歌だろうか。

ボガートがバーグマンに 「君の瞳に乾杯! Here's looking at you, kit.」 と言うくだりがあった。冗談でならともかく、本気ではとても口にできそうにないキザな台詞だが、一度ぐらいは、日本語がダメなら英語ででも、言ってみたいと思っている内にジジイになってしまった。しかしそれにしても、バーグマンの息をのむ美しさには圧倒された。素晴らしい美人だったというイメージは残っていたが、あらためて再確認できた。

だが、この映画のメインは、なんといってもテーマ音楽だと思う。ハーマン・フップフェルド作詞作曲の 「時の過ぎゆくままに」 と訳された 「 As time goes by 」 は忘れられない。深夜の 「カフェ・アメリカン」 でサム役のドゥーリー・ウィルソンがピアノで弾き語るシーンだけでなく、全編を通じて繰り返し流されたこの曲は名曲として残っている。

ただし、この曲が作られたのは1934年なのだから、カサブランカで有名になるよりずっと前の作品ということになる。また、サムを演じたドゥーリイ・ウィルソンはピアノが弾けなかったため、彼が劇中で弾く 「 As time goes by 」はスタジオ・ミュージシャンのエリオット・カーペンターによって吹き替えられているのだそうだ。

曲をこの場でお聴かせしたいのだが、著作権などの関係があって思いのままにならない。着メロにもなっているほどポピュラーな曲なので、関心がおありの方は自助努力でお探し願いたい。ところで余談だが、カサブランカというのはスペイン語で 「白い家」 を意味する。「カサ」 は 「家」 で 「ブランカ」 は「白」を表している。

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2007年3月 7日 (水)

テレビの受信料

3月2日の朝日新聞朝刊記事によると、総務省は3月1日、NHK受信料の 「支払い義務化」 を今国会に提出する放送法改正案には盛り込まない方針を固めたそうだ。これは 「受信料の2割値下げ」 とセットで考えられていた構想だが、橋本元一NHK会長が同日、早期の値下げ判断はできないと表明したためだといわれている。

現行の放送法においては、テレビ視聴者がNHKとの受信契約を結ぶ義務はあるが、受信料の支払い義務は明記されていない。支払いを義務化することで、NHKは未契約者への支払い督促がやりやすくなる。急増していた受信料不払いを減らすべく、政府・与党は支払い義務化の法案を今国会に提出する予定だった。

ラジオ受信料時代の昔から、NHKに対する受信料の不払いはあったが、最近、職員の不祥事が相次いだことなどから、不払いが増えているようだ。NHKの改革を前提に受信料の支払い義務化と値下げを検討する、というのが政府・与党の方針だった。しかし、この動きは延期されるようだ。

ところが今回テレビを新しくしたことで判ったことがある。B-CAS カードの使用許諾契約約款によると、


第1条 (カードの使用目的)
このカードには、受信機器を制御する集積回路(IC)が内蔵されており、デジタル放送の番組の著作権保護や有料放送の視聴等に利用されています。このカードは、デジタル放送の無料放送、有料放送、ペイ・パー・ビュー放送、NHK、自動表示メッセージ、およびデータ放送の双方向サービス等の各種デジタル放送サービス(以下「放送サービス」という)を受信するために必要となります。

とあり、テレビの地上デジタル放送化やBS化が進むなかで、NHKとの受信契約を結んでいなければ、テレビを見ることができなくなりそうだ、とテレビを買った電気屋さんが言っていた。NHKは、B-CAS カードの機能を活用して、テレビを買ってから30日が経つと、NHKのBSデジタル放送にチャンネルを合わせるたびに、テレビ画面の左下にメッセージが表示されるらしい。
NHKの場合、ユーザー登録をしていないとNHKへの連絡が要求される。画面は連絡しない限り消えない。つまりどこで見ているのか、NHKに連絡しない限り、正常な画面での視聴はできない仕組みになっているようだ。

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2007年2月23日 (金)

「美人」 という言葉

かな漢字変換にAtokを使っているが、「びじん」 と入力すると 「美人」 が変換候補に示されると同時に 「不適切表現」 という文字が表示される。しかし 「びじんが」 と入力すると、

1.美人が<<不適切表現>>
2.美人画

となり、美人画なら不適切表現にならないようだ。そういえばひと頃、美人看護婦 (看護師ではない) とか美人アナウンサーとか、女性と見ればやたらと 「美人」 という前置詞のような形容詞を付けていた頃があった。女性イコール美人だったようだ。しかし今は、この前置詞みたいなものを見たり聞いたりしなくなった。

MS-IME は永らく使ったことがないので判らないが、Atokでは、この 「不適切表現」 というのがよく出てくる。ということは、普段それだけ、不適切な表現を使っていることになる。
シナチクと入力すると、<<書き換え>>と出て、変換キーを押すとメンマになる。これは、中国のことを昔は支那 (シナ) と呼び、英語でもチャイナだったが、戦前の日本人が中国に対してシナという言葉を侮辱的な意味で使っていたので、シナが不適切と判断されたからだと思う。しかし、子供の頃の記憶では、シナよりもチャンコロという言葉を使っていたようだ。

韓国人の知人がいるが、彼らは朝鮮という言葉を嫌がる。戦前は朝鮮半島が日本の植民地になっており、日本人は彼らを一段下に見下していた。だから朝鮮人という言葉に、侮蔑的な感情が込められていた。われわれの世代は、シナや朝鮮という言葉を使うことに抵抗を感じている。チョウセンはシナ同様に不適切表現のはずだ。しかし、世代交代が進んで戦後派ばかりの時代になると、シナや朝鮮がなぜ侮蔑語なのか判らなくなるのではなかろうか。朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) という国ができてからは、北朝鮮とは違うという意味で 「朝鮮人」 と呼ばれるのを、韓国人は嫌がっているようだ。当たり前のことだが、チョウセンと入力しても 「不適切表現」 という表示は出てこない。

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2007年2月14日 (水)

書籍あれこれ 2

農林学校のある勝間田まで、疎開先の江見から汽車通学をしていたが、昔のローカル線は運転本数が少なく、汽車待ちのために勝間田の街を友人たちとよく歩いた。小さな街を3年間もかかって探索したわけだから、すっかりお馴染みになった。今と違ってコンビニや喫茶店など、時間をつぶすような店はなかった。散髪をしたり、数少ない小さな商店を覗いたりした。そんな中で、貸本屋だったか古本屋だったか定かでないが、古書を並べた店があった。

かなり年配のコワイ顔をした男の人が店番をしていたが、題名も読みかねるような、いかにも難しそうな豪華本が沢山並んでいて、手に取るのもはばかられた。当時の中学生にはいささか敷居の高い本屋さんで、店主に話しかけることもできなかった。その店主にとっては多分、疎開してきて、世の中が落ち着くまでの暮らしではなかったろうか。大学生時分になってから思い起こして、稀覯本と呼ばれる本もあったのではなかろうか、何冊かでも買っておけばよかった、などと思ったりもした。

そういえば、戦時中に田舎へ疎開して不自由な暮らしを強いられた都会の文人墨客が少なくなかったはずだ。通っていた農林学校にも、額田六福という国語の先生がおいでになった。生徒たちはロップクサンと呼んでいたが、フリー百科事典 「ウィキペディア(Wikipedia)」によると、


額田 六福(ぬかた ろっぷく、1890年10月2日 - 1948年12月21日: 本名は「六福(むつとみ)」)は劇作家・小説家。岡山県勝田郡勝央町生まれ。

京都の立命館中学校を卒業後、1916 年に早稲田大学文学部英文科に入学( 1920 年、卒業)。岡本綺堂に師事し、劇作家の道に入った。沢田正二郎の新国劇や歌舞伎座のために書いた脚本が人気を生み、一躍売れっ子作家に。

だそうだから、生まれ故郷に疎開してきて、同じ町にある農林学校で教師をされていたことになる。「鄙には希な」 という言葉は美人の表現に使うが、まさしく 「鄙には希な」、すごく偉い先生に教えていただいたことになる。こんなことは、当時の生徒は誰も知らなかったし、そのような紹介もなかったように思うが、定かでない。1945年が終戦の年で、私は1944年4月から3年間お世話になったわけだが、先生は1948年に58才という若さでお亡くなりになっているようなので、わたしたちは先生の最晩年に教えを受けたことになる。

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2007年1月29日 (月)

テキ屋のはなし 続編

テキ屋のはなし」 の続きで、どうしても話しておきたいのが 「のぞきからくり」 のことだ。今はもう、どこの祭礼に行っても見かけなくなってしまったが、子供の頃は、がまの油売りと双璧の楽しみだった。がまの油売りの方はタダ見ばかりで、買ったこともなかったが、のぞきからくりはタダ見ができない。しかし、タダ聞きはできた。

のぞきからくりというのは、巾1~2間(1間は 180 センチ) ほどの屋台に美しい挿絵の看板をかかげ、下部には数個の覗き穴があって、それにレンズとガラス玉をはめて、子供達がそこから中を覗き込む仕掛けになっている。箱の中の正面の絵が拡大されて見え、10枚ほどの絵がきわめて簡単な仕掛けで1枚ごとにヒモで上方へ引き上げられる。次から次へと変わり一遍の物語を見せてくれ。まあ、紙芝居のようなものだった。

からくり舞台の横には語り手のお爺さんとお婆さん (に見えた) が立っている。ムチで屋台の板を叩いて拍子をとりながら、「からくり節」 という古風な哀愁を帯びた口調で、節おもしろく筋を歌い、同時に紐を操作して、中の絵を切り替える。このメロディーと拍子が楽しくて、長い時間、立って見ていたこともある。会社の宴会などで、余興にこのからくり節を披露する社員もいた。周りのみんなは、箸で茶碗をたたいて音頭をとったりして、随分盛り上がったこともあった。

のぞきからくりの演目には、浄瑠璃・歌舞伎の題材として有名な 「八百屋お七」、尾崎紅葉の 「金色夜叉」、武男と浪子の名場面を語る徳富蘆花の 「不如帰(ほととぎす)」などがあった。

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2007年1月26日 (金)

テキ屋のはなし

お正月は終わったか?で 「がまの油売り」 の話をしたが、今の縁日 (えんにち) は綿菓子、リンゴ飴、甘栗、そば焼き、それに金魚すくいやクジによる景品交換などで、余りおもしろみがなくて昔の面影が薄い。昔はこの他に、薬草売り、家相見、占い、ハブの薬売り、包丁売り、バナナ売り、見世物小屋、猿まわし、のぞきからくり、パチンコなどがあった。

決定的な違いは、タンカバイ (啖呵売) がなくなってしまったことだ。「勤めていた会社が倒産して、売れ残りの万年筆を退職金代わりにもらった。これで全部だが、買って欲しい。」 などと書いた小さな看板のような紙を立てかけ、前に万年筆を並べたオッサンが黙って座っていたりした。その他、がまの油売りを筆頭に、効くのかどうか定かでないような薬品や化粧品、使えるかどうかはっきりしないような砥石や鋏、包丁などを売っていた。

彼らの特徴は、あることないこと、おもしろおかしく述べ立てて、その話に興味をそそられて集まってきた人々に売りつけることだ。買う方も 「眉唾物ではないか」 と思いながら、半信半疑で買っていく。後は、使い物にならなくても、「縁日で買ったものだから」 と諦める。ところが、世の中が難しくなって、やれ、誇大広告だ、不当表示だ、それ、虚偽表示だ、薬事法違反だ、と警察や消費者団体などが動く。

懇意なテキ屋の親方に聞いた話だが、もう昔のようなテキ屋はいない。いたら無形文化財だ、とのこと。双方納得ずくで、無害だが余り役に立たないものを売買するのは、最近頻出している詐欺商法とは違う。立派な店舗を構え、きれいなパンフレットを配ってインチキ商品を売る詐欺商法と、がまの油売りとは全く違うのだが、世知辛くなった世の中で、がまの油を買う人もいなくなった。時代の流れは致し方ないが、タンカバイ (啖呵売) が聴けなくなってしまったこと寂しい限りだ。

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2007年1月24日 (水)

美しき天然 (天然の美)

親子で歌いつごう 日本の歌百選で書いたが、武鳥羽衣作詞・田中穂積作曲の 「美しき天然 (天然の美)」 も好きな歌だ。この曲のもの悲しい旋律もこたえられない。特別にもの悲しくなるについては、れっきとした根拠がある。

戦後、軍艦マーチの曲を聴くと必ずパチンコ店が頭に浮かんだように、戦前から戦後しばらくの間は、この局がサーカスのテーマソングみたいなものだった。サーカスを見に行くと必ずこの曲が流れていた。子供の頃の記憶では、この歌とサーカスとは切り離せない。今でもこの曲を聴くとサーカスを思う出してしまう。もちろん今では、パチンコ店の軍艦マーチ同様、こんなメロディーを流しているサーカスはないだろう。

戦前の話で恐縮だが、子供の頃 「悪い子は子取りに連れて行かれるよ。子取りは子供をサーカスに売りとばすんだよ」 とおとなに脅かされた。遊郭があって、年貢が払えなくなった貧しい農家の娘や、借金で首が回らなくなった家庭の娘たちが売り飛ばされていた時代の話だ。娘を預かって遊郭に売り渡す女衒 (ぜげん) という職業があった頃のことだ。ノンフィクション 「ああ野麦峠」 で知られる女工哀史は確かに悲惨だが、もっと悲惨な人身売買・遊郭があった。

「サーカスに売られる」 というのは、当時の子供たちにとって、決してあり得ない話ではなかった。サーカスを見に行って、小さな子供が曲芸をしているのを見ると、「ああ、売られてきた子供なんだ」 と思っていた。この曲の哀調を帯びた、もの悲しいメロディは、売られて来て、難しい芸を仕込まれた子供たちの悲しい境涯を偲ばせてくれた。大人になって、まさかそんなことはなかっただろうと思っているが、それでもこのメロディに接すると、何となく悲しくなる。困ったものだ。

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2007年1月22日 (月)

親子で歌いつごう 日本の歌百選

文化庁のホームページで、公募によって選ばれた 「親子で歌いつごう 日本の歌百選」が公開された。平成 18 年 12 月 15 日の文化庁・(社)日本PTA全国協議会主催の選考委員会で決定されたものだそうだ。百選とうたっているが101曲になったようだ。第一印象は、まるで戦前の 「小学唱歌」。もちろん戦後の歌も混じってはいるが、選考された方々が、どんな方か判るような気がする。まあしかし、「親子で歌いつぐ」 と、「文化庁・PTA」 というキーワードを考えると、このあたりだな、とも思う。

あえていえば、沖縄俗謡 「十九の春」 も入れて欲しかった。
「私が貴方に 惚れたのは ちょうど 十九の春でした」 だが、歌詞がいけなかったのかな。これは沖縄で生まれた歌ではないそうだが、沖縄の心を教えてくれるような気がする。この哀調は堪らない。しかし、若い人に言わせると、歌詞も曲も完全にオッサンものだそうだ。まあ、古希だからしかたがない。

それから、武鳥羽衣作詞・田中穂積作曲の 「美しき天然 (天然の美)」 も好きな歌だ。この曲のもの悲しい旋律もこたえられない。それに、日本の民謡がすっぱり抜けている。民謡も親子で歌い継いで欲しいと思う。いわゆる流行歌と違って、永年その土地で歌われ続けてきた歌だから、素晴らしいものばかりで、日本人の琴線に触れることが多い。

昔、同僚たちと三泊四日で鳥取、島根の温泉巡りをしたことがる。夜な夜な芸者を上げてのどんちゃん騒ぎだった。もっとも、芸者といっても相当なご年配の方々ばかりだったが、そんな時はいつでも、土地の民謡を教えてもらっていた。このときは、
「関の五本松一本切りゃ四本 後は切られぬ夫婦松」 の 「関の五本松」、「かいがら節」、「安来節」 を憶えた。

兵庫県豊岡市竹野浜の海岸沿いに建っているシーサイドホテルに、家族連れで海水浴に行ったことがあう。毎晩の夕食は、決まった時間に大宴会場のような部屋で、宿泊客全員が一緒に食べる仕組みだった。舟盛りなどの豪華な料理だったが、一泊目と二泊目とでは料理が違っている。料理を見れば、何泊目かが判った。随分昔の話だから、今は違っているかも知れないが、舞台にはバンドがいて、毎晩 「かいがら節」 の指導をやっていた。

話を元に戻そう。同じホームページに、特別賞として以下のような心温まる記事があったので引用する。

山本弘子さん・北海道帯広市・60代・女性

曲名:『あめふり』

 小学1年生の時のことでした。教室が暗くなったと思う間もなく、大粒の雨が降り出しました。傘を持ってきていない私は「困ったな」と思いました。下校時間になりました。玄関にいた大勢の子供たちは次から次からお迎えの人たちと帰って行きました。私は靴とほこりのにおいがする玄関で、冷たそうな雨を泣きたい気持で見ておりました。どのぐらい待ったのでしょうか。校門の所をかけて来る母の姿を見つけた時、我慢していた涙がこぼれてしまいました。「遅くなってごめんね」とあやまる母にピッタリくっついて、「あめあめふれふれ・・・ピッチピッチチャプチャプランランラン」母と繰り返し歌いながらアイアイ傘で帰った時のうれしい気持ちが、この歌と共に私の宝物になっております。

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2007年1月18日 (木)

お正月は終わったか?

昨水曜日は、終日、ニフティのメンテナンスがあって、記事を投稿できませんでした。代わって、本日投稿します。

初詣も終わった。神戸の初詣といえばなんといっても生田神社、湊川神社、長田神社だろう。それぞれ 「いくたさん」、「なんこうさん」、「ながたさん」 と親しまれ、露天商と参拝客で混雑する。その後すぐに、神戸では 「えべっさん」 と親しまれている戎神社の祭礼が続く。こちらは商売の神様ということで、またまた沢山の参拝客がお詣りする。1月9日の 「宵えびす」 から、「十日えびす、本えびす」、「残りえびす」 とあって、まだまだお正月気分は抜けない。

まだこの後ろには、厄年のお祓いや疫病退散、病気平癒の多井畑厄除八幡宮が控えている。毎年、1月18~20日に行われる厄除祭は盛大で、周辺は多くの露店が軒をならべ、参拝客らで賑わう。神戸の最後は春節祭だろう。旧暦で節句を祝う中国の習慣に則り、元町南京町でも爆竹が鳴り響き、祝い事にはかかせない龍や獅子が舞い踊りで、大賑いになる。こちらは地元の人たちだけでなく、観光客もやってくる。今年は2月18日(日)~25日(日)が予定されているようだ。これが済んで、やっと、「お正月は終わり!」 になる。

祭礼には露天がつきもので、これもお詣りの楽しみになっている。昔は、一般にテキ屋、大道商人、香具師 (やし) などと呼ばれていた。惜しくも96年に亡くなられた渥美清さんが、映画 「男はつらいよ」 で演じた 「寅さん」 は、まさにテキ屋で、露店で品物を売る時におもしろい口上をまくし立てていた。このように口上を述べ立てながら売るやり方をタンカバイ (啖呵売) といっていた。中でも花形だったのが 「がまの油売り」 で、

サァーサァーお立会い (おたちあい)、御用 (ごよう) とお急ぎで無い方はゆっくりと聞いておいで、見ておいで...

サテ お立会い、手前のは、これ 「四六 (しろく) のがま」。四六五六 (しろくごろく) はどこで見分ける。前足の指が四本 (しほん)、後ろ足の指が六本 (ろっぽん)、これを名付けて、ヒキ面相 (めんそう) は 「四六のがま」 だ。

サテ お立会い、このがまから、この油を取るには、山中 (さんちゅう) 深く分け入って捕らえ来ましたるこのがまをば、四面 (しめん) 鏡張りの箱の中にがまを放り込む。サァー、がんま先生、己 (おのれ) のみにくい姿が四方の鏡に映るからたまらない。

で、「自分のみにくい姿を見て驚いたがまは、体より油汗をばタラーリ・タラリと流す」。下に流れ落ちたこの油汗を、「柳の小枝をもって、三七は二十一日の間、トローリトローリとたきしめ」る。「お立会い、これ陣中膏 (じんちゅうこう) はがまの油だ。」 と述べ立ててがまの油を売りつける。

こういった口上や歌舞伎、新劇などの名ぜりふを、昔は憶えていた。今のようにカラオケなど無かった時代だから、宴会などがあると、それぞれ自慢の名ぜりふを披露したり、扮装して 「どじょうすくい」 を踊ってみせるなど、昔はなかなかの芸達者が少なくなかった。

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2006年12月25日 (月)

ローマ人の物語 その2

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ローマ史の予備知識もないままに読んだわけなので、特に書評めいたことをいう資格もないが、あえていえば、ローマ法についての記述が少なかったように思う。暗黒の中世を経て、近代市民法社会を築いたヨーロッパは、法制にローマ法を導入している。だから世界の文明国家の法制にはローマ法が大きく影響している。
日本でも明治維新までいろいろな法制があったが、その後現在まで続いている日本の法制を研究する時、どうしてもローマ法の存在を無視できない。そんなわけで、ローマ法が日本やヨーロッパ各国に及ぼした影響との関連でローマ法のことを、も少し詳しく書いて欲しかったような気がしている。

ついでにもう一つ付け加えるとすれば、料理の話ではないだろうか。爛熟期のローマ人がどんなものを、どうやって食べていたのか。ベットのような椅子に寝そべって食事をしていた貴族たちは、ポタポタと汁を胸元に垂らしていたはずだが、どうだったんだろう。コンスタンチノーブルからスペインの果てまで繰り広げ伝播されたローマ人のレシピを是非とも知りたいものだ。

有名なフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 には、既に15巻までの目次が掲載されているが、その中の一部を引用すると、

『日本の書店や図書館などでは歴史書として扱われていることもあるが、大半の研究者からは、実証研究や史料に基づかない記述がある(すなわちフィクション)、客観性や反証可能性を放棄した安直な断定が許されるという意味合いにおいて小説と考えられている。』
『「誤った記述がある」「著者の想像による断定が含まれる」「ローマ史用語の定訳を用いていない」などの批判も少なからずあるものの、小説家である著者によって魅力的に描かれた古代の英雄達は多くの読者を獲得している。本シリーズはローマ史をよく知らぬ読者から、歴史的事実そのままの記述として扱われているという問題を有するものの、ベストセラーとなった本シリーズが多くの日本人読者に古代ローマについて関心を抱かせたことは否定できない。』

とある。

私は歴史の専門家ではないので、「ローマ人の物語」 が科学的に正しいかどうかを判定できない。しかし、他の科学と同様、歴史学においても、諸説乱立していて結論が出ていない問題は数限りなく存在する。邪馬台国が九州にあったのか奈良にあったのかで、両説が対立していることでも判る。
そんなことより、大多数の日本人にとって、これまで遠い存在だった古代ローマを、身近な親しみやすいものにしてくれた功績は大きい。海外旅行で訪れた街にある古代ローマ遺跡を見ても感慨が違うように思える。

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2006年12月18日 (月)

お正月が近づいた

子供時代にはいろんな人からお年玉を頂いて嬉しかったし、昔は満年令ではなく数え年だったから、お正月が来るとみんな一斉に一つ年齢が進むわけで、早く大人になりたかった子供の頃は、一つ歳をとるというのも嬉しかった。数え年というのは、生まれた時が1才で、12月31日に生まれた赤ん坊でも、翌日のお正月には2才になっていた。どうかと思う面もあったが、判りやすかったように思う。年齢を尋ねられると、まず数え年の年齢を答えて、場合によっては、○月×日には満~才になります、などといっていた。

今や、お正月前は正月準備で忙しいだけなので、好きにはなれない。といっても昔のように、大掃除や、ふすま、障子の張り替えなどはしなくなった。スーパーなども正月営業をしてくれるので、食料品の買いだめをする必要もない。おせち料理は本来の意味がなくなって、なんとなく変わった料理を作っておいて、調理の手間を省くだけのものになりさがった。

住んでいる住宅街でも、比較的最近までは、しめかざり、門松などしていたのだが、いつの間にかだれもしなくなった。そういえば国旗を出してる家も見かけない。自動車のフロントグリルにしめかざりをぶら下げるのも流行らなくなった。つまりは、年中行事の慣行というか、けじめというか、しきたりのようなものが消えていっている。残念な気もするが、致し方あるまい。

では、わが家でのお正月前は何が忙しいのか。まず、年賀状を書かねばならない。書くといっても最近は年賀状ソフトを使って、宛名などを印刷してしまう。ウラだけは手書きだったが、最近はこちらもパソコンで印刷している。相手によって内容を変えるので、宛名書きのようなオートメーションにはならない。毛筆書きが下手なので印刷しているに過ぎない。しかし、実際には一人ずつ違う文面だと面倒なので、相手をグループ分けして、グループ別の文面を印刷している。

お正月前で一番大変なのは、植木鉢の世話だ。当家は神戸市でも海抜300メートルの山間僻地だから、冬にはたっぷりと霜が降りるし、たまには積雪もある。カタログで 「耐寒性弱」 などと記された植木鉢は、全部縁側に取り込むことにしている。縁側だと一応室温だし、日当たりも良好で申し分ない。この作業が結構一汗かかせられる。鉢ごとに受け皿を用意して、背の高いものは奥の方に、低い鉢物は庭に近い方に、上手に整理して並べる。おかげで縁側は鉢で一杯になる。

取り入れのついでに鉢土の交換もすることにしている。植木鉢だと毎年植え替えないと、来年に見事な花が咲かない。これがまた大変な重労働で、ハイビスカスや多肉植物のアロエ、花月、クジャクサボテンなどの大きな鉢は2年に一回植え替えることにしているが、すぐ腰が痛くなる。加えて、耐寒性があって取り込まない鉢類も植え替えが必要だ。余り風のない、比較的天気がよくて温かい日を選んでの作業になるが、今冬は雨が多くて仕事が遅れている。ああ、忙しい忙しい。

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2006年11月13日 (月)

神戸の町筋 その4

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神戸の町筋 その3で紹介した有馬街道を天王谷川沿いに北上すると、すぐに、新神戸駅近くの布引からやって来た有料道路の山麓バイパス天王谷インターチェンジに出会う。樹木は生えているものの切り立った崖に寄り添うように、うねうねと曲がりくねった道が続き、やがて左手に 「天王ダム」 が見える。

小部 (おぶ、おーぶ) トンネルをくぐり抜けると、「水呑」 の信号で西鈴蘭台方面と分岐する。更に進むと、神戸親和 (しんな) 女子大学を経て神戸電鉄鈴蘭台駅に向かう道と分かれる 「鈴蘭台東口」 の信号がある。やがて、「二軒茶屋」、最近開業した温泉、「すずらんの湯」 を経て小部峠に至る。六甲山頂から摩耶山の裏、それに森林植物園を通ってやってきた西六甲ドライブウエイの西端に位置する小部峠は、六甲山系の分水嶺で、ここまで一緒に進んできた天王谷川とは分かれて、志染 (しじみ) 川に寄り添いながら下り坂を進むことになる。

昔、学生時代に友人と二人で六甲山に歩いて登り、そのまま西六甲ドライブウエイを小部峠まで歩いたことがある。途中、森林植物園近くにある 「関の茶屋」 で電話を借りたら、なんと驚いたことに磁石式電話機だった。小さな手回し用のハンドルが付いた電話機で、この磁石式発電機を回すことによって、交換機の表示機を動作させて交換手を呼び出す役割を果たしている。もちろん容器は木製だった。
戦前に祖父が時計店を営んでいたので電話機はあったが、磁石式でない普通の電話機だった。ただし容器は木製で、柱に取り付けられていて立ったまま通話する仕組みで、送話器と受話器とは一体でなく別々に独立しており、受話器は太いコードでつながっていた。今のような卓上型はまだ無かったと思うし、携帯電話が主流となりつつある現代からすれば隔世の感が強い。

小部峠で有馬街道には出たものの、くたくたに疲れていて、ダラダラと平野に向かって歩いていると、見かねたのか、通りかかった3輪の小型トラックが止まってくれて、荷台に載せて平野まで送ってくれた。当時の有馬街道は簡易舗装が剥げて、でこぼこになっていたのか、それともまだ未舗装だったのか、定かではないがともかく、がたがたと随分揺れた記憶が残っている。電話といい、トラックといい、今から思えば長閑な時代だった。

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2006年11月10日 (金)

花雕酒(はなぼりしゅ、かちょうしゅ)を頂いた

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老酒を置いているのは中華料理店だけで、最近のスナックなどでは日本酒や焼酎を置いているところもあるが、老酒を飲ませるスナックは無いようだ。そういえば自宅にだって、日本酒、ビール、ワイン、ウイスキー、ブランデーなどはあるが、老酒は置いてない。せめて自宅では老酒を飲めるようにしなくっちゃ...などといっていると、近頃中国語にはまりこんでいる知人が、一本プレゼントしてくれた。

頂いたのは、花雕酒という紹興酒の古酒で8年ものだった。写真のように箱書きも全て中国語の簡体字だが、8年ものの古酒で保存期間は5年、アルコール度は16%と読める。ネットで調べると、花雕酒というのは、中国の古い習慣で花の彫り物をした壷の紹興酒を、お嫁に行くお祝として飲んだ事に由来するとか。中国では、広く一般的に飲まれている紹興酒らしい。

そんなわけでとりあえず、ぬる燗にして飲んでみたら非常に旨い。中華料理の宴席では必ず紹興酒を飲んでいたので、味はよく知っているつもりだったが、全く違った飲み心地で、こんな紹興酒は初めてだった。目からウロコではないが、この歳になって初めての、旨い紹興酒だった。まろやかで口当たりが柔らかく、紹興酒独特の臭みも薄く飲みやすい酒で、甘いカクテルみたいに、あまりアルコールを感じさせない。これなら女性たちにも勧められそうだ。

贈ってくれた中国通の彼に言わせると、年数が古くなるに従って、値段は倍々と高くなるそうだ。8年ものが効いているのだろう。老酒とはよくいったもので、紹興酒も歳経るとこんなに旨くなる。これからは中華料理の宴席でも、紹興酒を注文する時に年数を指定しないと、安い酒を飲まされることになるようだ。いずれにしても、紹興酒を売ってる店を探して、わが家の酒庫を満たさねばならない。

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2006年10月20日 (金)

肉が主食のアメリカ人はロティサリーがお好き

2006 年 10 月 10 日付けデジタルARENAのコラムで、海外生活がそろそろ人生の半分にリーチしかけている主婦兼ライターのウォール真木 (ウォール・マキ) さんが書いた 『“丸焼き”こそ肉料理の醍醐味! 「ロティサリー」 はとってもアメリカン』 を読んだ。アメリカ人の肉食については、概念的には判っているつもりだったが、この具体的な記事内容を見ると、やはり驚かされる。


 アメリカに引っ越したばかりの頃、スーパー・マーケットに買い物に行ってまず驚いたこと。それは売っている肉の大きさです。こちらではお肉が主食だと聞いてはいましたが、まさかここまでとは(汗)。巨大なスペアリブ、丸ごとのチキン、もうどの部位かも分からないような塊肉がぎっしりとスーパーの棚に陳列されている様子には、最初開いた口がふさがりませんでした。逆に日本のような薄切り肉が売っていないので、しゃぶしゃぶができないんですよねぇ。米生活での悩みの種のひとつございます……。

千葉県市川市の、とある高級住宅街に住んでいる友人に聞いた話だと、住宅街の中まで肉屋さんが保冷車で肉を売りに来るそうだ。保冷車の扉を開けると、大きな肉塊がぶら下がっていて、注文サイズに切り分けて売ってくれるとか。ステーキよりも、すき焼きやしゃぶしゃぶ、薄切りの網焼きロースなどの方が好きな古希じいとしては、肉を塊で買っても困るな、と思ったものだった。ここに住んでる人たちは肉が主食なのだろうか。その友人は、もちろんおかずだよ、といっていたが。

アメリカ人は巨大なオーブンを使った料理が好きなようだ。クリスマスになるとウォールさん宅でも、ダンナ様が七面鳥の丸焼きを作るのに、7k~8kgの鳥も楽々納まる米国式オーブンが活躍するとか。わが家でも狭い台所でオーブンが大きな顔をして鎮座しているが、使うことは滅多にない。


 ところで丸焼きといえばオーブン焼きも人気ですが、「ロティサリー」 と呼ばれる調理法もアメリカでは一般的。これは肉の塊を串刺しにし、回転させながらあぶり焼きにする方法で、表面は油がほどよく抜けてカリッと、中身はしっとりと柔らかく仕上がるのが特徴です。通常はスーパーや専門店にある大型ロティサリー・オーブンでグルグル焼かれているチキンなどを買ってくるのですが、家庭でもこの本格派ロティサリー・チキンを作ることができるというポータブル・オーブンもあるのです。しかも2~4匹の鳥の丸焼きが一気に焼けるという、かなりパワフルな機械。

少子化が進んだ日本では、2~4匹もの鳥の丸焼きが一気に焼けるような、デカイ機械など到底需要がないと思う。少なくともわが家では、鳥の丸焼きなど作ると、食べ尽くすのに何日もかかりそうだ。もっともスズメの丸焼きなら3~4本はOKだが。
しかし、最近は日本でも肉の消費量が増えてきて、体格はよくなったが、痛風、糖尿病、大腸がんなども増えてきている。やはり肉はおかずにして、米の主食が安全なようだ。

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2006年10月11日 (水)

乏しさをあわれむ歌

7月24日の美食家判定器で書いたブリア・サヴァランの 「美味礼賛」 (下) に 「27 乏しさをあわれむ歌 (歴史的挽歌)」 (261頁) という項があり、なかなかおもしろい。以下にその一部を引用する。

『食いしん坊の聞こえ高き人類最初の親たちよ。おん身らはただ一つのりんごのために身を滅ぼしたが、トリュッフ詰め七面鳥のためだったら、どんなことになっていただろう?だが、地上の楽園には、まだ料理人も菓子職もいなかったのだ。おお、かわいそうな人たちよ!
豪壮なトロヤをうち滅ぼした強力な王たちよ。おん身らの武勇の誉れは世々を経て消えることはあるまい。だがおん身らの食事はまずかった。豚の背中と牛の股肉ばかりで、おん身らは魚のマトロート (ぶどう酒で肴を蒸した煮物 - 翻訳者註) も若鶏のフリカッセ ( fricasse 仏語、本来は小麦粉などのルーを使って白く仕上げた料理、現在では鍋で蒸し煮した料理、煮込み料理 - 古希じい註) も知らなかった。おお、かわいそうな人たちよ!』

中略

『全世界の人々を搾取したローマの金持ちどもよ。評判のおん身らの食堂には、あの怠け者をとろかすおいしいゼリーも現れなかったし、熱帯に戦いを挑むあの冷たいアイスクリームも見られなかった。おお、かわいそうな人たちよ!』

中略

『それから君たち、すでに豊富のうちにたんのうし、新しい調理法の出現を待っている、1825年 (本書は1926年に刊行された - 古希じい註) の美味学者たちよ。君たちはもろもろの科学が1900年のために用意しているさまざまな発見を味わいはしないだろう!...まだ発見もされていず開拓もされていない、残りの半球から運んでくる未発見の食べ物を味わいはしないだろう!おお、かわいそうな人たちよ!』

で終わっている。ことのついでに古希じいが追記したい。

『世界に先がけて美味学を確立した、博学無比、博覧強記のブリア・サヴァランさんよ。あなたは恐らく、ふぐの刺身も田尻屋のわさび漬けも、上トロのにぎりもご存じないだろう。キャビアをご存じでも芥子明太子のピリ辛を賞味した経験はないでしょう。多分、高砂屋のきんつばも吾作という神戸の泥鰌屋でたべるどじょうすきも未経験でしょう。おお、かわいそうなお方よ!』

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2006年9月 8日 (金)

10 finger

最近はブラインドタッチが当たり前で、若い人たちはパソコンのキーボードをたたくのに、キーボードを見ないまま両手の指10本を使っている。昔、会社の女子社員がブラインドタッチで、電卓を使って計算しているのを見て驚いたものだが、時代は進んでいる。昔も欧文タイピストはブラインドタッチだったが、われわれがたまにタイプを使う時は、せいぜい両手の人差し指だけだった。今でも到底ブラインドタッチなんかできない。

8月7日の夕立か水まきかで書いた村上龍さんが発行している JMM [Japan Mail Media] という無料メールマガジンの中で、デンマーク北シェーランドに在住しておいでの造形作家の高田ケラー有子さんという方が 『平らな国デンマーク/子育ての現場から』 という連載をお書きになっている。夏休みが終わって高田さんの息子さんが小学校2年生になられたそうで、その第44回 「ゆとり教育のゆくえ」 を読むと、


2年生の時間割は月曜と火曜が5時間目まで、水曜と木曜が4時間目まで、そして金曜日は6時間目まであるのですが、午後の2時間は体育、という時間割。全体では国語にあたるデンマーク語が11時間、算数5時間、音楽2時間、美術2時間、体育2時間、理科や生活 (道具の仕組みなど) について学ぶ自然と技術という時間が1時間、キリスト教1時間、という週24時間授業になっています。 低学年の間は特にデンマーク語に力を入れているようで、毎日2時間、木曜日は3時間あるのですが、「読み」 「書き」 とグループで学習する 「ワークショップ」 そしてコンピュータのキーボードで文章を打つ 「 10 finger 」 という授業が新たに加わりました。「 10 finger 」 の授業があった最初の日、学校から帰ってきた息子が、キーボードを打つ私に 「かあちゃん、親指も小指も使うんだよ」 と言うのでビックリ。学校でキーボードを打つ指の配置を早くも学び、私が8歳の息子から指導を受ける始末でした。私など自己流も自己流、習った事など一度もなく、そう言われてみれば恥ずかしながら左右とも2~3本の指しか使っていないことに、今更気がついたような次第でした。この 「 10 finger 」 の授業がデンマーク語11時間中、先週は4時間ありました。

国語に比べて算数、とりわけ理科の時間が少ないように思うし、社会や地理、歴史などは、まだ早すぎるのか、音楽と美術に週2時間ずつもあっていいのか、など、いろいろ疑問はありますが、国民性の問題でもあるのだろう。しかし、日本と同じく学力向上という共通の課題を抱えるデンマークでも、学力低下に危機感を抱いて 「ゆとり」 教育の見直しという教育改革の行方が注目されているそうだ。

それにしても、小学校2年生から 「 10 finger 」 の授業があるぐらいだから、ブラインドタッチのできないわれわれは、これから肩身の狭い思いで生きていくことになる。このブログだって、高田さん同様、「自己流も自己流、習った事など一度もなく、そう言われてみれば恥ずかしながら左右とも2~3本の指しか使っていない」 始末だ。といって、75才にもなって、今更練習したって、指が動かないだろうし、キーの位置も憶えられそうにない。第一その気にならない。困ったことだがやむを得ない。

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2006年9月 4日 (月)

献立表

7月24日の 「美食家判定器」 で書いたブリア・サヴァランの 「美味礼賛」 (下) に 「143 料理店における美食家」 (129頁) という項がある。以下にその一部を引用する。

『一流料理店、特にヴェリー兄弟、プロヴァンソー兄弟の店の献立表を検査すると、次のようである。すなわちこれらの食堂に来てすわるお客たちは、その食事の各コースにおいて少なくとも次のような種類の中から選ぶことができるわけである。

ポタージュ 12種
オール・ドゥーヴル 24種
牛肉のアントレ 15ないし20種
羊肉のアントレ 20種
飼鳥類または猟鳥獣類のアントレ 30種
仔牛料理 15ないし20種
パチッスリー 12種
魚料理 24種
焼き肉類 15種
アントルメ 50種
デザート 50種

これだけではない。まことに幸福な美食家は飲み物として、ブルゴーニュからトーケイ (トーカイともいう、貴腐ワインで名高いハンガリーの一地方 古希じい註 )、ケープ・ワインにいたる30種のぶどう酒の中から、何でも好みのものを選ぶことができるのである。』

パリでは、今でもこれだけの献立を用意しているレストランがあるのだろうか。少なくとも日本の洋食店では歯が立たないのではないだろうか。もっとも、中華料理店なら、日本でもこれに負けないぐらいの献立を用意しているかも知れない。どなたか、料理専門家のご意見を聞いてみたいものだ。

[註1] アントレ Entree とは入り口と言う意味からオードヴルを意味するが、日本のレストランでは肉料理のこと指す場合があって、これは間違いといわれている。ただし、オードヴルは直前の 「オール・ドゥーヴル」 だと思うので、よく判らない。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、『英語の語彙にも借用語として定着しており、北米の英会話では「メインディッシュ」という意味で使われ、北米以外の英語圏では「オードブルよりも多めの前菜」という意味で使われる。
日本でも少し前までメインディッシュという意味で使っていた料理人が多く、一般にも混乱が見られる。』 とあり、やはりよく判らない。

[註2] パチッスリーは意味不明、どなたか解説して下さい
[註3] アントルメ entremets とは、フランス料理でので食後の甘いデザート全般をのこと

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2006年8月25日 (金)

続トマトとキュウリ

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トマトとキュウリで書いたように、毎年キュウリも育てている。キュウリは前記のように乾燥に弱い。西日が照りつけると、土は湿っていても葉がしおれてしまう。もちろん翌朝にはしゃきっとした葉に戻っている。乾燥が過ぎると、花付き、実付きが悪くなるので、夕方には葉ダニ防除も兼ねてたっぷり葉水を掛けてやる。

キュウリの原産地はインド西北部で、霧が出るヒマラヤ山脈南部山麓のシッキム地方といわれている。そこに野生していたものがヨーロッパや中国にわたり、栽培種として発達したが、この野生種は苦くてとても食べられないそうだ。日本には、中国から中国南部の華南型品種が6世紀ごろに渡来しているが、その後明治時代になり、中国北部の華北型品種が栽培用・交配用に導入されて、国内栽培がさかんになった。今のキュウリに苦味はないが、ごく最近まではやや苦味があり、端を切って、切り口同士を擦りあわせると、苦味が抜けるといわれていたが、これも、今は昔となってしまった。

日本では、平城京から種子が出土しており、奈良時代から食用になっていたと思われる。
今昔物語集本朝世俗部巻第28第40 (外術を以て瓜を盗み食はるること) を見ると、

『今は昔、七月ばかりに、大和国より多くの馬ども、瓜を負わせ列ねて』 京へ行く途中の大勢の下人達が、大きな柿の木の木陰で休憩した。彼らは瓜を取り出して切り分け、食べ始めた。そこへ通りかかった 『翁の云はく、「其の瓜一つ我に食わせ給へ。喉乾きて術無し」 と』。しかし、この頼みを下人達は断った。そこでくだんの老人は 『 「...然らば翁、瓜を作りて食はむ」 と...此の食ひ散らしたる瓜の』 種を拾って蒔いた。
瓜はすぐに双葉を出してどんどん育ち、花が咲いて、見事な瓜の実がなった。老人は瓜をもいで食べ始め、下人達や通行人にまで瓜を食べさせた。やがて老人が立ち去ると、下人達も出発しようとしたが、馬に積んであった籠の瓜は、すっかりなくなっていた。下人達は仕方なく大和に帰っていった。
下人達が、『瓜を惜しまずして、二つ三つにても翁に食わせたらましかば、皆は取られざらまし。惜しみけるを翁も憎みて、此くもしたるなめり。亦、変化 (へんげ) の者などにてもや有りけむ。...となむ、語り伝へたるとなり。』

とあり、トマトと違って、歴史の古さがうかがえる。ところで、中国で西方民族を 「胡」 と表したので、西域を意味する 「胡」 からきた瓜という意味で 「胡瓜」 と呼ばれている。胡麻 (ゴマ) や胡桃 (クルミ) などと同じ発想だと思う。日本では、江戸時代以前には完熟して黄色くなってから食べていたので、黄瓜 (キュウリ) と呼ばれたが、 そのうち中国語の 「胡瓜」 という字があてられるようになった。また、カッパはキュウリが大好きなので、キュウリの巻き寿司をカッパと呼ぶ話は有名だ。

キュウリの表面には、多くのイボがあり、その先からトゲが出ている。このトゲが落ちてしまうとそこから水分が染み出してしまいおいしさが損なわれるといわれている。自家栽培で朝取りのキュウリは、手が痛いほどトゲトゲでみずみずしく、何もつけないで、そのまま食べても、カリカリと歯ごたえがあって美味しい。

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2006年7月31日 (月)

豊満美人とスリム美人

美味礼賛 下」 の中に 「肥満について」 というくだりがある。その中で 「社交界で、顔が桜色で、丸ぼちゃで、ぽってりした手をし、足が太くて短いぴちぴちしたお嬢さんに出会うと、皆はうっとりしてかわいいなあと思う。...今はこんなに愛くるしい彼女...」 (41頁) という文章に出会う。サヴァランの好みというか、当時の感覚ではこれが美人だったようだ。

ルネサンスに活躍したボッティチェリ (1444/1445~1510 伊)、ラファエロ (1483~1520 伊)、レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452~1519)などもぽっちゃり美人を描いているし、中国唐の玄宗皇帝が寵愛した皇妃、楊貴妃も豊満美人だったようだ。歴史上、革命などで支配者層が交代して、社会が前向きというか、高揚期になると、安産型というかぽっちゃり型の健康的な豊満美人がもてはやされる。漢でも唐でも清でも、末期には社会も退廃的になり、不健康的な美人というか痩せ型美人がもてはやされたようだ。

最近でこそスリム体型が重視されるが、昔は食料が潤沢でなかったから、民衆の殆どは栄養失調気味で、やせて貧弱だった。そんな中で富裕層だけが太っていた。だから、太っていること自体が富と権力のシンボルで、隋から清の時代まで続いた官僚登用試験である科挙でも、学科試験だけでなく、字が上手なことと、見た目、押し出しの良い体型とが好まれ、貧相な印象を与える受験者はそれだけで排除された。日本でも西郷隆盛のような体型、栄養満点といった身体が、貫禄ありとして愛好された。

今でこそ、太っていて自分の健康管理もできないような経営者に企業の管理を任せられるわけがない...といった考え方が主流となって、経営者も体重管理に憂き身をやつすようになったが、ついこの間までだと、お腹が出ていて恰幅がよいのが社長風だった。太ると糖尿病、高血圧、高脂血症、心臓病など怖い病気が目白押しで、世界中がやせたい願望症候群に罹っている。しかし筋肉でスリムになるのはいいとしても、ぎすぎすにやせた女性は、とても魅力的とは言い難い。やはりぽっちゃりとした可愛い感じの女性の方が、男どもを引きつけるのではないだろうか。

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2006年7月26日 (水)

美食家は大食漢か

前回の美味礼賛を読んでいて思ったことだが、彼らは猛烈な大食漢のようだ。美食家判定器以外の頁でも出てくる料理献立表を見ていると、大変な量でとても食べられそうにない。テレビ番組の 「デブや」 に出演している方々でもお手上げではなかろうか。それに、食事の時間が長い。食後に部屋を変えて、ブランデーやタバコで時間を過ごし、しばらくすると又食べ始める。起きてる時間の半分ぐらいは口を動かしているようだ。

若い頃はそれでも割に食べていて、牛刺しの前菜を食べてから200グラムのステーキを食べたりできた。歳と共に胃が小さくなったのか、最近では旅先の旅館で出される料理も、半分ぐらいしか食べられない。口が卑しいせいか全部の料理に手をつけるが、空になった皿や鉢はほとんどない。

昼食に中華料理の宴会などがあると、もう夕食はお茶漬け一杯で充分という有様だ。それもきっちり食べるのは前菜とフカヒレスープに北京ダックぐらいで、後は老酒片手に、箸を出したり出さなかったりで、まことにモッタイナイかぎり。前にもどこかで書いたが、加齢現象で味蕾が少なくなり、おまけに食欲も落ちてくると美味礼賛ができにくくなる。困ったものだ。なんとかならないものだろうか。

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2006年7月24日 (月)

美食家判定器

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ブリア・サヴァラン ( Brillat Savarin、フランス、1755-1826 ) 著、「美味礼賛 上」 (岩波文庫、1967.8.16 刊)の228頁に 「美食家判定器」 というのがある。だれかを招待してご馳走をするからには、その相手が美食家でなければ意味がない。美食家でもない輩をご馳走に招待するのは無駄である。従って、美食家であるかどうかを判定するための装置が必要になる。そこでブリア・サヴァランは美食家判定器を開発した。といっても、計器のようなものではないのが当然で、そんなものはあるわけがない。

それは料理の献立表で、社会層や能力、習慣によって3階級に分けられる。各階級に応じた料理を提供されて、

「その人がいっこうに食欲をそそられず美味に酔うふうも見せないならば、さっそくこれを珍味佳肴の席に招待するに値しない者として排除してよいことのなるのだ。」

ということになっている。

美食家判定器第一級
推定収入5千フラン (中産程度)

  1. 仔牛のヒレ肉をその出し汁の中で煮込んだもの
  2. リヨンの栗を詰めた七面鳥
  3. よく脂ののった鳩、ベーコンを巻いて、ちょうどよく焼いたもの
  4. ウッフ・ア・ラ・ネージュ (卵の白身に砂糖を加えて泡だて、お湯に浮かしてかためたもの)
  5. シュークルート (玉菜を塩漬けにして醗酵させ、いくぶん酸味を持たせたもの) にソーセージを添え、ストラスブールの薫製ベーコンをのせたもの

美食家がこれを見た時の言葉、「ちくしょう!こいつはうまそうだぞ!さっそくちょうだいつかまつろう!」

美食家判定器第二級
推定収入1万5千フラン (有産程度)

献立省略

美食家の言葉、「やあこれは!いよいよ現れ出ましたな!まるでご婚礼とご祭礼とが一どきにきたようですわい。」

美食家判定器第三級
推定収入3万フラン (金持程度)

  1. まんまるになるほどペリーゴール産トリュッフを詰め込んだ飼鳥肉
  2. フォワ・グラ (ストラスブール産) の大型パテ、バスチヨン型
  3. ライン大鯉料理、シャンボールふう盛りつけ (蒸し煮した大きな魚のための豪華な飾り付け。トリュッフを加えた魚肉のだんご、マッシュルーム、粉をつけていためた白子の薄切り、クール・ブイヨンで煮たざりがに、トリュッフ、揚げパン、などを魚のまわりに美しく飾り付ける。)
  4. トリュッフ詰めのうずら料理 (骨髄の入ったブラウン・ソースをかけて、バジリック入りのバタを塗ったトーストの上に載せる) --- バジリックとはシソ科植物、フランスでは香草の王といわれる。
  5. ブロッシュ (北半球北部に分布する淡水魚、かますとは別物でしすかぎょという) に詰めものををし脂をぬって焼いたものに、ざりがにのクレームをかけたもの
  6. 雉肉の蒸し焼き、脂身をピケして、サント・アリアンスふうトーストの上に載せたもの
  7. 直径5、6リンニュ (1リンニュは約2.5ミリ) の新アスパラガス百本のオスマゾーム・ソースあえ
  8. プロバンスふうオルトラン (ヨーロッパ産頬白属の小鳥で、青緑色、および褐色をしている。その肉は極めて珍重される) 料理2ダース
  9. ピラミッド型に盛りつけたメレンゲ (ヴァニラとローズのかおり入り)

    美食家の言葉、「おお閣下 (または猊下)、何と閣下のお料理人はすばらしい名人でござりましょう。これほどのものは当家のほかではとてもとてもちょうだいできませぬ。」

つまりは、このような料理を提供して、上記のような褒め言葉が出るようなら美食家と判定できるが、そうでない 「連中には、どうせその価値がわからぬような宝物をくれてやる理由は少しもない。だからそういう手合いをよりわけることができたら、われわれにとってはなはだ便利であろう。」

ということだ。

当時のフランスの富裕層がどんな暮らしをしていたのかがかいま見られる。彼らはろくに働きもしないで、ひたすら旨いものを追っかけていた模様で、ただただ羨ましいかぎりだ。また、フランス料理では、食材を徹底的に加工して、元の味を消してしまい、ひたすら新しい味を追求しているのがよくわかる。旬の食材の味を大事にし、それをどうやって引き出すかに苦心している日本料理と、全く正反対の考え方に基づくフランス料理が理解できる。

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2006年7月19日 (水)

ナンテンの花が咲いた

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庭にあるナンテン (メギ科ナンテン属 Nandina domestica) の白い花がやっと咲き始めた。図鑑などでは6月頃開花とあるが、わが家は海抜300メートルなので、7月になってから咲き始める。ナンテンの木が花で白っぽく見える。そこへブーンという大きな羽音を立ててミツバチ科のクマバチが吸密に来る。

黒色で大型のこわそうなハチだが、実際はとてもおとなしいハチで、体が大きくよく目立つことから恐怖心を与えるが、人を襲うことはないそうだ。よくクマンバチとまちがえられるが、これはスズメバチの俗称。スズメバチは肉食で他の昆虫を襲って食べるが、クマバチのほうは花の蜜や花粉を食べるので性質はまったく違う。

ナンテンの実にはアルカロイドのドメスチン、ナンテニン、プロトピンなどが含まれており、知覚神経を麻痺させたり、心臓の運動を抑制する働きもある。
ナンテンの葉は昔からよく赤飯の上にに載せたりするが、葉の成分のナンジニンが熱い赤飯の上にのせられてふたをされると、熱と水分で変化して微量ながらチアン水素が発生して腐敗防止に役にたつから、この季節の食中毒防止になる。

ナンテンの古木は床柱として珍重され、「男はつらいよ」でお馴染みの葛飾区柴又の帝釈天の大客殿、南天の間には樹齢千五百年を数えるというナンテンの床柱があり、高さ5メートル太さ直径10センチの巨木は、日本一の大ナンテンとして伝えられている。
また、京都、金閣寺の床柱も有名だが、ナンテンには、ふつうの木と違って、形成層の活動によって作られた 「材」 がなく、維管束の間にあるふつうの組織の細胞の壁が厚くなり、木化しているだけなので、木質化した茎を持つ草とでもいうべき、見せかけの木なのだ。

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幹が直立して、あまり太くならず、結構強いので杖に利用されたりするらしい。また、霊草として食あたりなどを防いだり、無病息災を願ったりで 「南天の箸」 というのもある。昔、田舎育ちだった祖父が庭にはえたナンテンの木を切ってきて、削りだした。やがてそれが祖父用の箸になった。自分でもその内やってみようと思っているが、未だに果たせないでいる。

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2006年5月 8日 (月)

お酒の辛口と甘口

5 月 3 日に書いた 「味蕾 (みらい)」 の続編みたいになるが、口の奥にはアルコールの刺激を強く感じる部分があり、舌の先端部分には甘味を強く感じる部分がある。だから、同じお酒でも酒器や飲み方によって辛口になったり、甘口になったりする。

盃やカクテルグラスのように角度のある酒器は、軽く傾けるだけでお酒が流れるので、お酒は舌の上を速く流れ、すぐに口の奥に当たる。だから、このような酒器で飲むとより辛口に感じられる。一方、ぐい呑やずん胴のコップのように角度のない酒器は、充分傾けないと酒が流れ出てこないので、舌の先端部からゆっくり流れて口内で広がる。だから、舌の前部には甘味を強く感じる部分があるのでより甘口に感じられる。

材質に厚みがある酒器では、お酒は一旦、上顎側に当たってから舌に落ち、口の中を転がるようにゆっくり流れる。このような酒器の場合、角度のない酒器と同様、口の奥に当たるのが緩和されるから辛みが抑えられて感じられる。一方、薄手の酒器の場合、舌に沿って速く奥まで流れ込むので、このような酒器だと角度のある酒器と同様、アルコールの刺激が強く感じられ、より辛く感じらる。

口径が広い酒器では、お酒が左右に広がって口に流れ込むが、舌の左右の端には酸味を強く感じる部分があり、より酸っぱく感じられる。またこのような酒器では口に入る量も多くなり、濃く感じられる。逆に口径が狭い酒器では、お酒が舌の中央部から線状に流れ込むので、酸味はひかえめに感じられる。また、口に入る量も少ないので淡麗に感じられる。

どこかで、以上のような学説(?)を読んだので、そのつもりで飲んでみたが、感度が鈍いのか、老化現象で味覚細胞の再生が不十分なせいか、それとも性格がアマノジャクなためか、あまり実感できなかった。どんどん味覚細胞の再生ができている若い方々に検証して頂くほかなさそうだ。

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2006年4月28日 (金)

お酒と文明

世界の四大文明は、黄河の中華、インダス河のインド、チグリス・ユーフラテス河のメソポタミアとナイル河のエジプトだが、この中で世界的に名の通ったをお酒を製造しているのは中国だけになってしまった。お酒は人類の歴史と同じぐらい古くからあって、気が付いたらお酒があった...というのが実態だと思うが、なぜだろう。

メソポタミアのシュメール人によって作られたワインやビールは、後にシリアやエジプトに伝わり、エジプトでは紀元前3千年頃からワイン作りが始まったらしく、古代エジプトでもワインやビールを飲んでいたようだ。ハンムラビ法典では、お酒の量をごまかしたら死刑になると記されている。ビールは一般にメソポタミア文明の時代から作られ始めたとされ、紀元前3千5百年~3千年頃が定説となっている。

インダス河文明もお酒無しではなかったと思う。しかし、インドで生まれたヨーガの歴史は古く、五千年ともいわれているが、そのヨーガは飲酒を禁じており、ヨーガ行者だけでなく在家でも禁じられている。イスラム教ははっきり禁酒しているので、中近東やエジプトでは、お酒を飲まない。

飲み助が中近東などに転勤させられたら、禁断症状で狂い死にするのではなかろうかと、人ごとながら案じていたが、国によって厳しさに違いがあるようで、取締りの緩い国まで飲みに行くとか、買って帰るとか、心配はなさそうだ。現地の人も信仰心に強弱があって、それなりに適当にやってるそうだ。特に富裕層はホームパーティなどを開いて、遠慮なく飲んでるらしい。

インドの旅行記などを見ると、インド人は基本的にお酒を飲む習慣がないそうで、汽車のコンパートメントで飲む時などは、飲んでもいいかどうかを、同席の人に確認する必要があるとか。お酒に嫌悪感を持ってるインド人も少なくないらしい。

お酒地図を作ってみると、日本、朝鮮半島、中国とキリスト教国などが飲酒習慣を持ち、イスラム圏とインドがお酒を飲まない。ロシアのウオッカ、英米のスコッチ・バーボンなどウイスキー、ヨーロッパのワイン・ブランデーなど果実酒とビール、南米にはテキーラがある。中国の老酒その他、日本の日本酒・焼酎など、殆どの民族がお酒を持っている。

しかし、広大な面積があるイスラム圏の中近東やエジプトとインドにお酒がない。お酒は百薬の長であり、お酒は人類最高の伴侶であり、お酒を飲まない人は人生の半分を放棄している...と思うのだが。

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2006年3月31日 (金)

酒器

燗をした日本酒を飲むのに、ぐい飲みと言う陶磁器がある。円筒形で、間口、つまり飲む時に口を付ける表面の部分と、器内底面との面積がほぼ同じだから、お酒がたっぷり入る。容積が2~3勺で、一合徳利のお酒が3~4杯でなくなる (一升は1.8リトルだから1,800cc、一合は180ccで、一勺は18cc)。作りやすいのか、土産物に手頃なのか、旅先の土産物店では必ずといっていいぐらい並んでいる。

昔、自分でも買ったし、お土産でよく頂くので、食器戸棚に色とりどりで、ずらっと整列している。各地の焼き物で作ったぐい飲みは、ガラスと違った味わいがあり、色、形さまざまで、それぞれ独特の手触りを持っており、触ってみるだけでも楽しい。
欠点は容積が大きすぎることで、一口で飲み干すわけにはいかないが、冷めないうちに飲んでしまいたいから、どうしてもピッチが速くなりすぎる。

もう一つはいわゆる杯で、大小二つの三角錐を、頂点同士くっつけた形をしている。表面積の割に容積は少なく、一口で飲める。まず、広い表面から立ち昇るお酒の香りを、充分味わう。それからゆっくりと口に流し込む。舌の上で転がし、うがいでもするように、頬の内側や歯茎まで回して、口全体で賞味する。ワインの飲み方と同じ、スローピッチでゆっくり飲むことができる。

知人からのもらい物だが、「そらぎゅ」 という杯がある。三角錐そのままの焼き物で、いとじきの部分がないから、置くと倒れてしまう。お酒が入ったままの杯を、そのままお膳に置いて、お箸を使うというような芸当はできない。注いでもらったら、すぐに 「ぎゅっ」 飲み干し、その場で相手に 「そら」 とお返ししてお酌をする。相手が飲んでいる間だけ、こちらの手が使える...というご多忙な酒器。

献杯、お流れ頂戴、など杯のやりとりは、最近、だれもやらない。しかし昔はこれが当たり前で、宴会などにはこの 「そらぎゅ」 を持参して、気のあった仲間と 「そら」、「ぎゅ」 をよく楽しんだものだ。
今では使い道がないと思っていたら、我が家の北の方様が練りがらしを作るのにご愛用で、からしを練った後、伏せておくのに丁度ピッタリとか。今流行のリサイクルか、酒器の末路に哀れをもよおしている。

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2006年3月29日 (水)

桃の木

むかし、食べた桃の種子を、子供が庭の片隅に植えたことがあった。桃栗三年柿八年とは、よく言ったもので、すぐに3メートルを超えるような大きな樹になった。毎年季節が来ると満艦飾に開花して、我が家でとんだ花見ができるようになった。しかし、果実の方はさっぱりダメで、大きくならないし、小さいまま無理に食べても酸っぱいばかりで旨くなかった。これはハイブリッドだからやむを得ないだろう。

桃の木は昔から日本にもあるが、花見となると、やはり梅と桜になる。桃の花見は、日本ではマイナーのようだ。しかし、中国では昔から桃園というのがよく出てくる。吉川英治の 「三国志」 でも、劉備が、尋ねてきた関羽、張飛と血盟を結んだのは桃園だった。その他中国の古典では桃園がよく出てくる。
一つは中国人が、花より団子ではなく、花より実を大事に思った民族だったからで、花を愛でるよりも、薬膳、薬草と考えていたからだろう。日本人が花を見るのとは違った見方をしていたように思う。
もう一つは、中国人が桃に特殊な意味を持たせていたからのようだ。漢字で桃という字のツクリは兆だが、兆は 「妊娠の兆し」 を意味しており、古代中国では自然崇拝の中で、桃が 「子孫繁栄」 を意味していたようだ。ひな祭りを桃と関連づけているのもこの理由かららしい。

商品化された植物は米でも野菜でも、花や果物でも、専門家が品種改良を進めていて、ハイブリッドになっている。辞書によると、ハイブリット ( Hybrid ) とは 「異質のものの混成物、雑種、混種語」 という意味で、2種類以上の違った方法で、同じ目的を達成することをいうらしい。植物については二つの品種を交配してできた品種、つまりF1品種 (一代交配雑種) を指すようだ。

F1は、人為的に開発されたものだから、従来品種よりも多収性や均一性、耐病性などで優れているが、種子ができなかったり、できたとしても親とは違う性質になるなど、品種として一定しない。だから、朝顔の種子を買ってきて植えてみても、そこから採れた種子は使い物にならない。来年、撒いてみても同じ花が咲くとは限らない。来年もまた種子を買わなければならない。

昔はハイブリッドでなかったから、一度種子を買えば、未来永劫、もう二度と種子を買わなくても、毎年結果した種子を撒けばよかった。ハイブリッドのおかげで、品種は良くなって、花も一層奇麗になったが、種子会社の利益も増えたことと思う。
庭の桃の木は病気と害虫とが、年々すごくなってきたので、遂に諦めて、切ってしまった。薬剤散布なしで庭を維持するのは大変だが、残念ながらやむを得ない。

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